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富士学報16

本宗の立場(文底独一本門) より大乗非仏説を論ぜよ

高橋慈豊師

(※破折に要する要点をまとめた)


一、大乗非仏説の迷妄

大乗仏教の興起について、平凡社発行の哲学辞典では次のように論じている。

『釈尊滅後、しだいに教理研究のみに走り、民衆から遊離していった仏教に対して、新たに一切衆生の救済を説く集団が紀元前後に起こった。かれらはみずからを大乗といい、旧来の仏教徒を軽蔑して小乗と呼び(中略)つぎつぎと経典を作っていくが、まず紀元前後とみられる「般若経」をはじめ、「法華経」「華厳経」「維摩経」「無量寿経」「涅槃経」「解深密経」「楞伽経」など、相ついで諸方面に編算結した(八九三頁)』

とのべているように、大乗仏教は、これを自称する集団が「旧来の仏教徒を軽蔑して小乗と呼び、つぎつぎと経典を制作」したとする主張が、おそらく現代を代表する大乗仏教観ではないかと思う。

さて、大乗仏教が仏説であるか非仏説であるかの論争は、釈尊滅後百余年の後、大天(摩訶提婆)が出現して、当時の仏教界において上座部と大衆部とに分裂する端緒となったことに始まるのである。

これは、当時の仏教界そのものが伝統に固執するあまり、固定化し、萎縮沈滞し、釈尊在世当時の生命力が衰頽し、腐敗堕落していた状況を打破しようとする新しい革新の運動に発展した。

そのことは、その後さらに十八部といわれるほど様々な部派に分裂し、いわゆる部派仏教と呼ばれる時代の到来を招くことになり、その結果仏教はインド全域はもとより、さらにインド以北や南方へも拡がることになるのである。

しかし、当時の部派の多くは形式的に流れるとともに、単なる理論のための理論が弄ばれるようになり、仏教の本来の目的である「一切衆生を救済する」という本義を忘れ、根本的精神を曲解するようになった。

このような状況に対して、これを反省し積極的に改善しようという運動と発展した。


「日蓮正宗要義」

『根本仏教としての釈尊の教義が定まってより、上座部・大衆部の対立を経て興った大乗仏教は、まさにその綜合の位置にあったといえる。
即ち根本仏教より部派仏教へ移行するに従い、次第に上座部系統では、仏教以外の思想見解であった万有実有論・心不浄説等の如き非仏教的見解を持つに至ったが、このような部派仏教そのものの中から反省し、進んで仏陀の根本仏教へ復帰しようとする人々が現われた。
それが大衆部から大乗運動を興した人々である。
故に大乗仏教は従来の仏教に対し、新しい要素を加えて新たに生れ出たわけではなく、部派仏教がみずから反省し、仏陀の教法である縁起論への復帰を志願したところに、新しい教学が興ったというべきである。(二七頁)』


さて、彼の大乗非仏説を主張する学者等は、この大乗仏教運動を、釈尊の教法を正しく継承し、その真精神を宣揚せしめようとした人々によって、部派仏教の中より出現したと見ずに、
▼「大乗仏教運動のかたわら、専ら自説の正当性を主張するために「大乗」と呼ばれる諸経典を偽作し、これを仏説と詐称した」
というのである。

また、仏教の経典は数百千巻といわれるほど実に浩瀚(こうかん)なものである。
このことについて、通常の人間的常識をもってするならば
▼「釈尊一人がこれを説き出すのは不可能である」
とする認識が、多くの大乗非仏説論者の共通する考えである。

ゆえに、
▼「阿含経をはじめとする一部の小乗経典をのぞいて、釈尊一代仏教経典のほとんどは、時代とともに発展し、時にしたがって漸次加増(註@)がなされた」
と論じているのである。

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註@ 富永仲基(一七一五 ー 四六) は 『出定後語』 を作り「加上」という論理を立てた。
富永の説を要約すると、思想家は互いに他を凌賀圧倒しようとして、論争的に自己主張しようとする点に着し、そして自身を如来になぞり(教起の前後) その著作を経典と称し(須弥諸天世界) 釈尊降誕の地まで伝えん (自序) との自慢によって、大乗仏教の説者は、自説の正統性・順理性を主張・表面に押し出す結果、自説をそのまま始祖の所説のようによそおい、その名に仮託し、その権威をかさに、主張鼓吹をくり返した、との論を展開した。
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大乗非仏説の論拠そのものは、実に偏頗な思考と矮小な思想によって展開されている。(註A)。

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註A ノーベル賞生化学者セント・ジェルジは言う。
「より高度の社会において、頭脳は第二の機能を発達させるにいたりました。
つまり行動や欲求を正当化するための、もっともらしい論拠を見つける、という機能です・・・・
論拠ということについて、一つはっきりさせておかねばならぬことは、それ自体は真の意味をもっていない、という点です。
それはことばから成り立っていますが、ことばというのはどのようにでも組み合わせることができます。
ソクラテスの十八番(おはこ)をご存じでしょう。
「なんでもよいからいってくれれば、それを論破してみせよう」
ことばと論理をもてあそべば、どんなことでも正当化することができるのです。」 (狂ったサル 一七頁)

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大乗非仏説の歴史は、実に古いことはすでに述べた。
それは、釈尊滅後四、五百年頃より、大乗仏教運動が隆勢になり、やがて馬鳴・龍樹・提婆の時代をへて、滅後八、九百年頃の無著・世親・陳那・護法・戒賢等の時代には、その仏説・非仏説を中心とする対立は頂点に達した。
なかでも、大乗非仏説論にたいする無著の主張は、真向うからこれと対時し論破している。


無著は「大乗荘厳論」に、つぎのように論じている。

人あり此大乗は仏の所説に非ず、云何んが此功得可きありやを疑ふ。我今彼の疑網を決し、大乗は真に是れ仏説なるを成立せん。
偈に曰く、不記と亦同行と、不行と亦成就と、體と非體と能治と、文異と八因より成る (国訳一切経・瑜伽部十二ー一九三頁)

と述べて、以下種々に大乗の仏説であることを論説している。

それによると、

初めの「不記」とは、若し大乗経典が仏説でなく、釈尊の滅後に正法を破壊する目的で偽作されたものであるならば、釈尊自身がこのような非法が将来起こることを予言するはずであるが、それが無いということは仏説である。

二の「同行」とは、大乗と小乗の二教は古くから並行して行じられてきたのであって、どちらが先で、どちらが後ということはない。
ゆえに大乗が後代に作られたという理由がない (註B)。

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B 龍樹は、釈尊は大乗小乗をあわせて説き、しかも衆生の機根の別にしたがって自在に大・小乗の教を説いたと大智度論 (国訳一切経一三二 ー 二一八七頁) に論述している。
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三の「不行」とは、大乗は甚深微妙の法であり、小乗の徒の理解を遥かにこえており、その理解するところではない。
ゆえに小乗の中に大乗の教えがないのであって、それを理由に大乗を非仏説とすることはできない。


四の「成就」とは、「大乗が釈尊の所説でなく、他に菩提を得たものが説いた」とするならば、その人は即、「仏」と名づけられなければならない。


五の「體」とは、若し「大乗が釈尊の所説でない」というならば、誰が世に出て小乗を説いたというのか。
大乗がなければ仏なく、仏がなければ小乗もない。

(※ 一切衆生救済は大乗にしかない。小乗には一切衆生救済はない。一切衆生の救済ができないのならば、それは低劣で不完全な教えということになる。
その低劣な教えの教主が釈尊ということであるならば、そもそも尊仰する必要もない。つまり一切衆生救済の「仏(覚者」そのものが存在しなかった。ということになる。
「仏=覚者」が存在しなかったのならば、小乗すら「仏」が説いたことにはならないではないか。との義)


六の「非體」とは、もし釈尊に大乗の體がなかったら、声聞にもまた體がないことになる。
もし声聞乗は仏説であるから體があり、大乗は仏説でないから體がないとするならば、大過の失がある。
なぜならば、大乗すなわち仏乗がなかったならば成仏を得るものがないことになり、声開乗を説くものもないことになる。
(※即身成仏の義は大乗にしかない。小乗の修業は歴劫修行による成仏である。となれば、この世で成仏できた者はいない、ということであり、釈尊自身も成仏できていなかったこととなる。結果、小乗の声聞乗を説く者すら存在しなかったことになる)


七の「能治」とは、大乗の法によって修行するならば、無分別智を得てよく諸の煩悩を断ずることができる。
このような功徳のある法を説くことができるのは仏の直説でなくてはできないことである。


最後の八の「文異」とは、大乗は甚深の法門であり、文のままに義をとるべきでない。
また大乗経典と小乗経典とは互いに相反するようにみえるが、その義を探れば二者はけっして相違するものではない。


と、このように要約述べているのである。

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さて、日本においては仏教が伝来してより江戸中期に至るまで、大乗非仏説など主張する者など一人もいなかったのであるが、富永仲基が出てこれを唱えてより後、今日に至るまで、ある者は大乗仏教というよりも、仏教全体について否定するため、またある者は排仏思想の論理的根拠としてこれを利用し、またある者はただ単に仏教軽視の上から悪意と揶揄にみちた論を展開する者まで出るに至ったのである。

その他、これを唱える学者は日本のみならず多く出ることになったのであるが、今はこれをひとつひとつ論ずることはできない。
しかし、近代における大乗非仏説の論理的思想的背景は、いわゆる「科学的実証的な歴史学」乃至「文献学」によってこれが形成されているといって過言ではない。(註C)。

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C 宮本正尊「大乗仏教の成立史的研究」二七四頁
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また、大乗非仏説が近代 (江戸時代)、富永仲基が加上説を唱えたことにより、富永の説を日本における科学的仏教研究の初めという)における学的態度を形成し、また大乗非仏説を中心、もしくは前程とした文献学・歴史学こそ、近代の仏教研究の特徴であるといえるのではないだろうか。

その文献学・歴史学研究の方法論は大略次の如くである。

@ 経典中にある仏滅年代・人名・地名・経名による(経典)成立年代の推定。

A 経典相互の教説の比較により、発達順序と成立の先後の推定。

B 仏教以外の印度の典籍に述べられている事柄からの比較。

C 龍樹・世親等の著述に引用記載の経名等からその経典の成立の下限年代の推定。

D 漢訳経典の訳出時からその経典の成立の下限年代の推定(註D)。

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D 宮本正尊「大乗仏教の成立史的研究」二七四頁
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と、研究方法はだいたい以上である。

このことからも分かるように、科学的な文献学、歴史学といっても、結局は推定をつみあげたところの論理の組みたてにすぎないのである。
また文献学・歴史学を屈指(※駆使か?)しても、ますます仏教の本義・本質の姿は、彼らには分からなくなっているのではないだろうか。

なぜならば、仏教といえども人文的なものである以上、これを信仰し、実践し、継承していくのは人間自身である。

それは、数回に渉る経典の結集のひとつをとっても、数百年の時間の隔りがあり、経典結集の人も、また国も異なるのであるから、伝承者によって用いる言葉も異なることもありうるのである。

また、もともと釈尊自身が教説を記録したり著述したのではないのであるから、こうした研究方法そのものが、極めてナンセンスであり、無意味と言わざるを得ないのである。

(※ 覚者・釈尊自身が、口伝による伝承を予め想定していた。
→ 歴史における大きな仏法伝承の流れを予見した上で教法を説かれた。
→ 小乗・大乗の出現も全て覚者・釈尊の「壮大な想定内の出来事」であった、ということではないか)

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天台の教判と大乗非仏説

宇井伯寿氏は「佛教汎論」

佛陀の教の根本趣意を説くに於いて、聴者の機根素質の如何を考察して、其説き方に幾段かの異なりがあることを明かにせんとするのは、むしろ正しい方法であるといはねばならぬ。
故に、五時教判を以て、それが歴史的研究又は歴史的停説に一致しないというて、むしろ排捨せんとする人の考に足らざる點のあることを表はして居るといふべきであらう 

(註E 宇井伯寿「佛教汎論」五五八頁)


天台の所説を否定するものであるならば、仏教全体を統一し、綜合する組織体系を創した上でなければならないだろう。

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大乗非仏説は、長遠な仏教の歴史における歴史的不明瞭な一部分を取り出し、斜視的に部分的・末節のことを拡大して見て、仏教全体について我見にみちた論理を展開。

釈尊の法華経においては、仏は阿耨多羅三藐三菩提・無上正覚を得たといっても、その悟りの正体が何かは明らかに説かれていない。


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