痴犬へ鉄槌 91  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 614()104947 p2253-ipbf11yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

痴難→>  こうして、ヌケガラ顕ちゃんの迷妄説法が誤りであることが証明された。
> 全て以下の御金言のとおり。
>
> ■「かくの如き上人を豈に邪見の人と云うべきや、答えて云く此の事本より私の語を以て是を難ずべからず経文を先として是をただすべきなり」(御書P.1207)
> (通解:このような立派そうな上人をどうして間違った考え方の人と言えようか。答えて言うには、このこと(このような上人に対する邪義の破折)は、もちろん自分勝手な考え方や言い方で批判するべきではない。仏の経文を根本としてこのことをはっきりさせるべきである。)
―――――――――――
●以上の随宜論に対しての論証に論旨明快に反駁でいない限り、↑など、御書をいくら引文しても全く徒労で赤恥かくばかりである。
如何に的外れな引文か、さらに追撃しよう。

本文
■ 疑ひて云はく、念仏真言は是或は権或は邪義、又行者或は邪見或は謗法なりと。此の事甚だ以て不審なり。其の故は弘法大師は是金剛薩捶の化現、第三地の菩薩なり。真言は是最極甚深の秘密なり。又善導和尚は西土の教主弥陀如来の化身なり。法然上人は大勢至菩薩の化身なり。かくの如きの上人を豈邪見の人と云ふべきや。
答へ
て云はく、此の事本より私の語を以て是を難ずべからず。経文を先として是をたゞすべきなり。真言の教は最極の秘密なりと云ふは、三部経の中に於て蘇悉地経を以て王とすと見えたり。全く諸の如来の法の中に於て第一なりと云ふ事を見ず。凡そ仏法と云ふは、善悪の人をゑらばず、皆仏になすを以て最第一に定むべし。是程の理をば何なる人なりとも知るべきなり。若し此の義に依らば経と経とを合はせて是を校すべし。

この御文がどうして日顕上人を誹謗する根拠となるのか?
盲滅法に御文を振り回しているだけのただの酔漢である。
もう少し、法門の綱格から学び直したらいかが?

この御文はむしろ、池田大作のような、仏法上では邪義の塊・謗法の発生源でいながら、世界中から勲章もらいましたよって、それを聖教新聞の一面で恥ずかしげもなくお祝いしてもらっているような恥知らずの似非偉人に対しての大聖人様のお叱りだが?
反論できる?痴犬ら創価学会員などの謗法者には無理だろうね。
―――――――――――
痴難→> ■「仏法の邪正をただす事・皆経文をさきとせり、今当世の道俗・貴賎・皆人をあがめて法を用いず、心を師として経によらず」(御書P.1207)
> (通解:仏法の正邪を明らかにするのは、すべて仏の経文を基準としている。しかし、今の世の中の僧侶や俗世間の人々、貴い人も卑しい人も、皆、人を尊敬して、法を根本として見ようとしない。また、自分自身の偏見や先入観でつくられた心を師匠として、仏の経文を根本としない。)
―――――――――――
●ここも同様である。

本文
■又我が朝の叡山の根本大師は、南都・北京の碩学と論じて、仏法の邪正をたゞす事皆経文をさきとせり。今当世の道俗・貴賤、皆人をあがめて法を用ゐず、心を師として経によらず。之に依りて或は念仏権教を以て大乗妙典をなげすて、或は真言の邪義を以て一実の正法を謗ず。是等の類豈大乗誹謗のやからに非ずや。若し経文の如くならば、争でか那落の苦しみを受けざらんや。之に依りて其の流れをくむ人もかくの如くなるべし。

■「今当世の道俗・貴賤、皆人をあがめて法を用ゐず」
当時は一国念仏の様相であった。今でいえば創価学会のはびこり方と相似していよう。
であるから、今で言えば、全国に蔓延る創価学会員は、池田大作などという、仏法的には尊崇する何の根拠も、能力も、実績もない、ただの破廉恥行状癖の老耄の「人」を崇めて、真実唯一の「法」である戒壇の大御本尊を用いない。身・口・意の三業を以って信行・供養しない。

■心を師として経によらず。
全国に蔓延る創価学会員はそれぞれ自分勝手にてんでなことを言い喚いており、真実の経である戒壇の大御本尊を身・口・意の三業で根本尊崇していない。

■之に依りて或は念仏権教を以て大乗妙典をなげすて、或は真言の邪義を以て一実の正法を謗ず。
付文の辺では御文の通り。元意の辺では、創価学会などの邪義を以って、戒壇の大御本尊を投げ捨て謗じている姿である。

■是等の類豈大乗誹謗のやからに非ずや。
まさに創価学会員こそ、大乗仏教の真髄・戒壇の大御本尊誹謗の者たちである。

■若し経文の如くならば、争でか那落の苦しみを受けざらんや。之に依りて其の流れをくむ人もかくの如くなるべし。
まさに法華経に
■「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、則ち一切世間の仏種を断ぜん。或は復顰蹙して疑惑を懐かん、其の人命終して阿鼻獄に入らん。地獄より出でて当に畜生に堕すべし、若しは狗・野干、或は驢の中に生まれて身常に重きを負ふ。此に於て死し已はって更に蟒身を受けん。常に地獄に処すること園観に遊ぶが如く、余の悪道に在ること己が舎宅の如くならん。」と説かれるが如く、無間地獄の苦しみを受けるのである。
また、それは池田大作をはじめとする最高幹部だけではなく、創価学会員であるならば、全て無間地獄の苦しみを受けねばなるまい。
まことに後生恐るべし、である。
―――――――――――
痴犬→> 馬鹿狸の誤魔化しは通用しねぇ〜よ

●おっ、ここで、やっと痴犬の恥言が登場したな。
どこが誤魔化しなのか、正依で証明してみなさい。
痴犬ぐらいのレベルでできるのかな?呵々
できなければ謝罪&脱会コース。いいね?