痴犬へ鉄槌 89  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 613()15099 p2253-ipbf11yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

●さて、以上の背景(痴犬へ鉄槌88)を念頭において随宜論を通読すれば分かることだが、造像を容認しつつ、その実は結局、広宣流布の暁まで制止されているのである。

■ 日代上人の御書に云く「仏像造立の事は本門寺建立の時なり。未だ勅載無し。国主御帰依の時三ケの大事一度に成就せしめ給ふ可きの由御本意なり。御本尊の図は其の為なり」文。此の文、実録の内の興師の御義に符合す。然らば富山の立義は造らずして戒壇の勅許を待ちて、而して後に三ケの大事一度に成就為(ナ)す可きなり。若し此の義に依らば、日尊の本門寺建立の時に先きんじて仏像を造立し給ふは、一箇の相違なり。罪過に属す可しと云はば、未だ本門寺建立の時到らず本門寺と号するは、又一箇相違なり。罪過に属す可きや。此の如きの段今の所論に非らず。願くは後来の学者二義を和会せば、造不造は違する所無くして永く謗法を停止して自他共に成仏を期すのみ。

【通解】 また日代(日興上人新六(新弟子六人)の一人。後年、富士河合に帰り、西山本門寺を創す。)の書(「宰相阿闍梨御返事」のこと。「日蓮宗宗学全書」第二巻二三四頁。)に「仏像造立は本門寺が建立されるときである。いまだに天皇帰依の上の裁決はない。国主ご帰依のとき三箇の大事は、一度に成し遂げられるべきである。曼荼羅の図はそのときのためである」とある。
この文は、尊師実録のなかの日興上人の義に符合している。
よって富士門流の義は、今は造像せず、戒壇建立の勅許を得たとき三箇の大事を一度に成し遂げるというものである。
この意義よりすれば、日尊が本門寺建立以前に、先んじて仏像の造ったのは、一箇の相違である。
その罪を問うべきかというならば、いまだ本門寺建立の時ではないにもかかわらず本門寺と称するのは誤りである。
罪に問うべき誤りとするべきか。
しかし、それは本論の論ずるところではない。
後世の学者に対して願うところは、造像・不造像の二義を会通せば、この二義は矛盾なく両立するものであり、これまでの誤った義を止め、自他ともに成仏を期すということである。

●かくのごとく、■「富山の立義は造らずして戒壇の勅許を待ちて、而して後に三ケの大事一度に成就為(ナ)す可きなり。」と、広宣流布達成の暁に仏像等を造立すべきである、として現時の造立を制止されている。
そのことはさらに以下の文でも領解できる。
■「日尊の本門寺建立の時に先きんじて仏像を造立し給ふは、一箇の相違なり。」
つまり、広宣流布達成し本門寺建立前に造仏することは法門上の誤りである。と穏健な言回しではあるが、明確に造仏を制止されているのである。

では、この随宜論の大綱を理解した上で細目を見ていこう。
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痴難→>※1 ■「問うて云く、第六天の魔王堤婆達多等を造立すべきか如何。答えて云く、力有らば、魔王堤婆を作るべし」

●※1ここは、一端は容認しておられるようだが、しかし、その実は、その「魔王提婆」の造像も、上記のごとく、広宣流布達成まではできないとの結論に導かれるのである。
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痴難→> ※2■「本門心底抄に云く「本門の戒壇其れ豈立たざらんや。仏像を安置すること本尊図の如し」文。此の文を以て推するに戒壇成就の日は仏像を造立すること分明なり」
※3> 「本堂には本尊の如く仏像を安置すべし。祖師堂は日蓮聖人の御影、垂迹堂には天照八幡の尊像之有るべし。其の上に戒壇堂を建立して中に法華経一部を納め戒壇を築き板本尊を安置し奉らんこと是即ち法華本門の大戒なるべきか」

●※2は「戒壇成就の日は仏像を造立すること分明なり」とあるがごとく、上述の義と同様で、広宣流布達成の日までは造像は制止されている意である。
※3もこの文の前に「若し此の義に准ぜば、」とあり、「此の義」とは※2のことであるから、やはり現時での仏像建立の意ではないのである。
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痴難→>※4 ■「富山の立義は造らずして戒壇の勅許を待ちて而して後に三ヶの大事一度に成就為すべきなり」
●痴犬はよく読まずにただコピペしているから、こういうバカ丸出しの醜態を晒すのである。
この文は既述のごとくむしろ、広宣流布にことを寄せて造仏制止の文証となるのである。
ほんとバカである。自分の挙げた文証で自分の立論が斬られるとは。呵々
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痴難→>※5 ■「願くば後来の学者二義を和會せば造不造は違する所無くして永く謗法を停止して自他ともに成仏を期するのみ。」

●※5 ここも、別に問題など全くないではないか?
狭義には、今後、敬台院のような造像に執着する、しかし社会的立場といい、性格といい、大変難しい信徒が現われてきても、この「随宜論」のごとくに善巧方便を用いて宗内を教導していくことができるだろうし、広義には今後も、敬台院のような、社会的立場といい、性格といい、信仰上の領解の度合いといい、大変難しい信徒が現われてきても、四悉檀を最大限駆使して善導し、宗内を円満に収める方途としての参考と言う意において「随宜論」は活用できる。との御心ではないか。
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痴難→> ●要するに日精は、要法寺の化儀である※6「釈迦多宝像を各地に建立した結果」、法主になった途端に富士門流の僧俗から大反対を受け、慌てて「広宣流布の時に釈迦多宝像を建立するのが正しい。今のところは建立しない」という内容を、将来のために、忘れないように書き残した、というのが※7「随宜論の背景」だった。
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●※6 日精上人が御当座前に、自ら積極的に「釈迦多宝像を各地に建立」したという証拠を挙げよ。しかも「正依」で。痴犬にできるかな?呵々
できなければ謝罪&脱会ね。よろしく!

※7 いままで詳論してきた通り、痴犬の結論は「全然だめ!」ですね。