痴犬へ鉄槌 72  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 519()153648 p2253-ipbf11yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

↓について今度は真面目に破折。
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痴犬→> マサシくんの好きな四恩抄↓
>
> 『次に僧の恩をいはば仏宝法宝は必ず僧によりて住す、譬えば薪なければ火無く大地無ければ草木生ずべからず、仏法有りといへども僧有りて習伝へずんば正法像法二千年過ぎて末法へも伝はるべからず、』
>  (四恩抄)
>
痴犬→>  ●大聖人は僧の資格を↑この様に述べておられる。
>  伝え広めるんだよ。
>  これが僧の資格ですな
>  広められへんのに何が僧なんや 単なる愚かなハゲやないのか?
>  法は素晴らしいに決まってる。
>  ハゲに問題があるんや。
>  宗門には地涌の菩薩が一人もおらん。
>  現実をみなはれ。ハッハハハハハー
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●痴犬の法門未熟さがまたもや炸裂して腸内では納まらず「脱肛」した状態である。
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■涅槃経に云く「内に智慧の弟子有って其の深義を解し、外に清浄の檀越有って仏法久住す」等 云云。

日寛上人・安国論愚記 ■付嘱に三義あり。一には弘宣付嘱、二には伝持付嘱、三には守護付嘱なり。これ一代に通ずるなり。

日寛上人・撰時抄愚記 ■今得意して云く、二箇の相承は正しくこれ弘宣伝持の付嘱なり。謂く「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨 日興に之を付嘱す。本門弘通の大導師たるべきなり」 とは、これ弘宣付嘱なり。故に「本門弘通」等というなり。「釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す、身延山久遠寺の別当たるべきなり」とは、これ伝持付嘱なり。故に「別当たるべきなり」等というなり。秘すべし、秘すべし。
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日顕上人御指南
■大聖人の三大秘法の随一たる本門の本尊とは、一代仏教の総結・根元たる久遠元初、本仏証得の甚深の境智をそのまま末法に本仏日蓮大聖人と出現せられ顕示あそばされた妙法曼荼羅本尊であり、なかんずく、一閻浮提総与の戒法・戒徳の意義を込めて顕わし給う本門戒壇の大御本尊が究竟の法体にましますとともに、この伝持の人が一器より一器へ移す付嘱相伝あって、初めてその人法の不思議なる妙法の体と宗と用が詮顕しえられることを知るべきであります。
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日顕上人御指南
■「日蓮日興」という血脈がある。これは、生死の血脈の実際的な根本となる仏法付嘱伝持の血脈である。これはたいへん重大なことであって、その意味は、いわゆる一般的な説明における仏様が衆生を導く意味の血脈の、三世にわたる下種仏法の実質的な付嘱を意味します。末法という時代の魔が多い中で、あるいは邪義の横行する中で仏法の正義を未来永遠に向かって、あくまで正しく伝えていくための根本法体を含んだ血脈が、大聖人様から日興上人へ住えられたものなのです。
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日顕上人御指南
■下種本因妙の三世常住の仏法においては、根本の下種三宝の常住は当然ながら、それはまた、代々法主の結要伝持の付嘱と不可分の意義が存し、ここに下種仏法の三世常住の絶妙なる深意が相伝されているのであります。
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との御指南のごとく、付嘱には、弘宣、伝持、守護、とあり、この「仏宝法宝は必ず僧によりて住す」との意は「仏法有りといへども僧有りて習伝へずんば正法像法二千年過ぎて末法へも伝はるべからず、」とあるところからも明確であるが、根本の法体の伝持があってこその弘宣なのである。
僧宝のお役目は、まさにこの伝持・弘宣が主であって、しかもこの弘宣にも総別あり、別しての戒壇の大御本尊の御内証を書写される「御本尊書写」がなければ、三大秘法を僧俗が弘宣(←総の意)しようがない。

日寛上人・観心本尊文段
■本尊書写豈化他に非ずや。

と仰せの如くである。

痴犬は、この伝持・弘宣・守護の付嘱の義に暝いが故に、御書の御文という法蔵へ、盲滅法に跳びこんで、ただ闇雲に刀を振り回しているだけのどうにもみっともない醜態を晒しているのである。

この根本の「法体の伝持」のない創価学会など、痴犬の言葉を借りれば↓である。

>  法(戒壇の大御本尊)は素晴らしいに決まってる。
>  油デブ(池田大作)に問題があるんや。
>  創価学会には地涌の菩薩(←正統な三大秘法を伝持・弘宣・守護する者)が一人もおらん。
>  (ニセ本尊で厳罰激しい)現実をみなはれ。ハッハハハハハー(←このように頭破七分で狂乱する”現実”)

こうしてみると実に恥文が生きてくる。
痴犬のような一闡提の謗法駄犬にも、「一分」の役割・使命といったものがあるものである。呵々大笑。