痴犬へ鉄槌 53  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 510()00176 p2253-ipbf11yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

●痴犬の浅薄ここに↓極まれり。
実に浅はかな怪釈である。
しかし、痴犬の拙劣なレベルが良く分かる、実にいいサンプルが採れた。
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痴犬⇒>  大聖人が相伝の書で何と御指南されているかを示めそう。重書中の重書である「御義口伝」には、
>
> 『此の品の時最上第一の相伝あり、釈尊八箇年の法華経を八字に留めて末代の衆生に譲り給うなり八字とは当起遠迎当如敬仏の文なり乃至必ず仏の如くに法華経の行者を敬う可しと云う経文なり』(P.781)
> (通解:普賢品の時に最上第一の相伝がある。釈尊の八箇年の法華経を八字に留めて末代の衆生に譲られたのである。八字とは当起遠迎当如敬仏の文である。必ず仏に対するように法華経の行者《三類を呼び起こして妙法を広めた人》を敬わなければならない、という経文である。)

>  要するに、末法に三類の強敵を呼び起こしながら妙法を広める「法華経の行者」を仏のように敬いなさい、と言うのが法華経の最上第一の相伝だと言われている。
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1、痴犬⇒「法華経の行者《三類を呼び起こして妙法を広めた人》」←とは日蓮大聖人様御一人のことであり、どう間違っても池田センセ〜〜なのではないのである。

■本尊とは法華経の行者の一身の当体なり

●もし仮にも池田センセ〜〜を「法華経の行者」と仮定すると、池田センセ〜〜が「本尊」と言うことになり、それこそ池田本仏論となってしまうが、痴犬、それでよろしいか?呵々大笑。

■一 末代譲り状の事
 仰せに云はく、末代とは末法五百年なり。譲り状とは手継ぎの証文たる南無妙法蓮華経是なり。此を譲るに二義之有り。一には跡を譲り、二には宝をゆずるなり。一に跡を譲るとは、釈迦如来の跡を法華経の行者にゆずり玉へり。

●「釈迦如来の跡を」池田さんに譲ったのか?しかも、「末法五百年」の内に。つまり概ね1052年から1552年に間に。池田さんは昭和3年に生まれたんではないのか?再度、呵々大笑。

■無作の三身とは末法の法華経の行者なり。無作三身の宝号を南無妙法蓮華経と云ふなり。

●池田さんが「無作三身如来」で、しかもその宝号が「南無妙法蓮華経」だって?更に、呵々大笑。噴飯ものの恥論である。もういっちょ呵々大笑。
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2、「法華経の行者」 との義には総じて「日蓮が弟子檀那」との意が含まれる場合もあるが、それはあくまで、日蓮が弟子(=僧分)・檀那(俗分)、つまり日蓮大聖人様→日興上人を首とするところの歴代法主上人→僧弟子分→俗弟子分の筋目を違えない僧俗に限っての事である。

■だんな(檀那)と師とをもひあわぬいのりは、水の上に火をたくがごとし。

■此の三位房(さんみぼう)は下劣の者なれども、少分も法華経の法門を申す者なれば、仏の如く敬ひて法門を御尋ねあるべし。依法不依人(えほうふえにん)此を思ふべし。

■『松野殿御返事』
「法師品には『人有って八十億劫の間、無量の宝を尽くして仏を供養し奉らん功徳よりも、法華経を説かん僧を供養して、後に須臾の間も此の経の法門を聴聞する事あらば、我大なる利益功徳を得べしと悦ぶべし』と見えたり」

■『法華初心成仏抄』
「よき師とよき檀那とよき法と、此の三つ寄り合ひて祈りを成就し、国土の大難をも払ふべき者なり」(新編一三一四n)

■流れを酌(く)む者は其の源(みなもと)を忘れず、法を行ずる者は其の師の跡(あと)を踏(ふ)むべし(念仏無間地獄抄 41)

■頭を剃り架裟を著せば持戒及び毀戒をも、天人彼を供養すべし。則ち為れ我を供養するなり。是我が子なり。若し彼を?打すること有れば則ち為れ我が子を打つなり。若し彼を罵辱せば則ち為れ我を毀辱するなり。(立正安国論 247)

■所詮真言・禅宗等の謗法の諸人等を召し合はせ是非を決せしめば、日本国一同に日蓮が弟子檀那となり、我が弟子等、出家は主上・上皇の師となり、在家は左右の臣下に列ならん。将又一閻浮提(いちえんぶだい)皆此の法門を仰がん。幸甚(こうじん)幸甚。(諸人御返事   弘安元年三月二一日  五七歳 1211

他、類文繁多である。
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3、痴犬→「・・・法華経の最上第一の相伝だと言われている。」
まさにバカ丸出しである。
では痴犬に訊くが以下の御文と痴犬の怪釈では整合性がとれないが、どう説明するのか?

■今此の御本尊は教主釈尊五百塵点劫より心中にをさめさせ給ひて、世に出現せさせ給ひても四十余年、其の後又法華経の中にも迹門はせすぎて、宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕はし、神力品嘱累品に事極まりて候ひしが、云々

■法華経を受け持ちて南無妙法蓮華経と唱ふる、即ち五種の修行を具足するなり。此の事伝教大師入唐して、道邃和尚に値ひ奉りて、五種頓修の妙行と云ふ事を相伝し給ふなり。日蓮が弟子檀那の肝要、是より外に求むる事なかれ。神力品に云へり。

■総じて妙法蓮華経を上行菩薩に付嘱したまふ事は宝塔品の時事起こり、寿量品の時事顕はれ、神力嘱累の時事竟はるなり。

■一 神力品
 御義口伝に云はく、十種の神力を現じて上行菩薩に妙法蓮華経の五字を付嘱し玉ふなり。

■一 授職法体の事
 仰せに云はく、此の文は唯仏与仏の秘文なり。輒く云ふべからざる法門なり。十界三千の諸法を一言を以て授職する所の秘文なり。其の文とは神力品に云はく「皆於此経宣示顕説」の文是なり。是の五字は即ち十界同時に授職する所の甚深の秘文なり。十界己々の当体、本有の妙法蓮華経なりと授職したる秘文なり@云云@。

●論理明解に説明ができなければ、またしても「謝罪・脱会」
何度言っても懲りない者を、バカ と呼ぶのである。
さ、頑張れ。
学習能力が極めて低いらしいが、懲りるまで努力させるしかないな。
さ、頑張れ。
その底の浅い教学力とも呼べるレベルでもない御文のかじり読み程度の低劣さで、せいぜい足掻いてもらおうか。