(無題)  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 413()190719 p2253-ipbf11yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

●↓この段は、http://toyoda.tv/tciken9.htmに対しての、反論にもなっていない、悩乱の遠吠えである。
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●聖人の教義はあくまで聖人の御書によって依て判断せられなければならない。  (日淳上人全集下P884)
●聖人の教義は徹頭徹尾聖人の御書によって決定されなければならない            (日淳上人全集下P885)
●次に日蓮大聖人の御書を拝読すれば御一代の弘教に三段があらせられることは何人にも うかがわれるところである。               (日淳上人全集下P886)

(マサシくん云く)
●<全くの引文した文意を取り違えている、大虚け者である。
だから、「痴犬」と言うのである。
以下の原文の一段を見れば明確であるが、

    日蓮聖人と法華経

 日蓮聖人と法華経との関係は聖人の教義を領解し奉る上に最も大切なことで、根本的の問題であり又教義そのものでもある。古来門下の教学に於て幾つかの異義が行われておるが、結局此の関係に於て見解が異っておるからである。或るものは終始法華経を中心として、聖人の御一代の弘教を判断してゆこうとするし、或るものは聖人を中心として法華経を判断してゆこうとする。此の二つの立場が基礎となって、大きく二つの潮流をなして、此の上に幾つもの異義が成立しておる。
 そこで聖人の教義を正しく領解し奉るには先ず此の立場が批判されねばならない。法華経は仏教の教典中最勝第一であるとし、此れを鉄則として、聖人の教義を此の眼で見て、御一代の弘教を会通し法華経の要約と敷衍とにあると考えることは、聖人の教学に於て正しい立場とはいえない。聖人の教義はあくまで聖人の御書に依て判断せられねばならない。

上人が仰せの御意は、

×「法華経は仏教の教典中最勝第一であるとし、此れを鉄則として、聖人の教義を此の眼で見て、御一代の弘教を会通し法華経の要約と敷衍とにあると考えることは、聖人の教学に於て正しい立場とはいえない。
○「聖人の教義はあくまで聖人の御書に依て判断せられねばならない。」

であり、「法華経を中心として、大聖人の仏法を見ていってはいけない。あくまでも大聖人の御書を元として判断していかなくてはいけない。」趣意
である。
つまり、「法華経」と「御書」の相対に於いては法華経でなく「御書」によって判断せよ。とのお言葉である。

▼君たちホーケイ講員や愚かなハゲどもは御書にもとずいて判断できてまへんのや!
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●こういう身の程を知らぬ戯言は、↓に反論してから言いなさい。
http://toyoda.tv/neirakuji.htm
http://toyoda.tv/tciken.mokuji.htm

ここで御書の御文については詳細に痴犬らの珍釈へ破折の鉄槌を下している。
痴犬は全く反論できていない。少々あっても、愚論に愚論を重ねているがゆえに全く反論の体をも成さず、このように再反論され、粉々に粉砕されきっている。
痴犬らはかくのごとく御書の御指南が読めていないので、戒壇の大御本尊への絶対信を確立できずに、転げ落ち、退転し、堕獄となるのである。
御書を読めない、いい見本である。そして、根本に信が無い者たちがいつかは退転していく、反面教師としてのいい戒めである。

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●<相伝を受けていない者が、御書の文を元に、唯授一人・血脈相承の御法主上人を批判してよい、だなどとはどこをどう拝しても仰せになっていない。

▼先にも示したように宗祖日蓮大聖人は、一切衆生に仏になる血脈を継がせようと願われていたんだよん 相伝を受けてる奴が現罰うけて焼け死んでどないすんねん ハッハハハハー 他にもおるやろが愚かなハゲが顕ちゃんのパパとかなぁ〜 はっははははー

●ほとんど、悩乱の体である。
血脈論では総別の二義として完摧済み。
http://toyoda.tv/neirakuji.htm#16
http://toyoda.tv/neirakuji.htm#18

そして、大聖人の血脈が大衆へ流れ通うには、必ず僧宝の方(=唯授一人・血脈相承による御歴代上人)がいらしてこそなのである。
http://toyoda.tv/tciken15.htm

↑これに痴犬は教義的に全く反論できていない。ただ↓のような駄問を執拗に繰り返すだけしか出来ない、低脳者と成り果てている。
⇒つまりは敗北である。⇒三門前で頭を石畳に擦り付けて、お詫び、脱会である。
少しは潔く振舞ったら如何か。
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▼☆それよりオジサン早いとこ先に質問してる法道院の事について明確に答えたってーや

●↑かくの如きの能無しの醜態を無様にも晒し続けているだけである。
惨めな者である。これでは社会人としても通用しないであろう。駄犬そのものである。