痴犬へ鉄槌 46  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 5 4()22307 p2253-ipbf11yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

暫く見ないうちに板が汚れてゴミが溜まっていたので、「分別」して廃棄した。

さて、少々砕きますか。
―――――――――――
痴犬> (日顕宗の言い逃れ)
>
> あんさんの好きな↓
> 「此の経は相伝に有らざれば知り難し」(P.398)とあるとおり、相伝を受けた法主でなければ分からないことがある。
>
> ◎いったい何が法主にしか分からないか、説明してからそんなウソを言いなはれ。
―――――――――――
●まず、この痴犬の邪難の論理構成自体が矛盾である。
1、まず一般論として、世間にも「世界中で、ある一人の人物しか知らない事象」ということは在り得る。
2、一人にしか分からない「こと」を、その一人以外の誰人も知り得る訳が無い。←当たり前すぎるほど当たり前である。幼稚園児でも分かる事柄である。
3、その「一人にしか知り得ない事」は、その人は「自分しか知り得ない」と明言し、事実その人しか行えない行為があるにも拘わらず、その人以外の人物=そのことを知り得ていない、成し得ない人物に「その内容を説明しろ。説明できなければ、俺は信じない」と喚きかかり、食って掛かかっている愚を痴犬は侵している、ただそれだけのことである。
「だったら、勝手にすれば。」と言われるのがオチである。
しかし、「その人しか成し得ないこと」には痴犬が成仏するか地獄に堕ちるかの重大な鍵が秘められている。
痴犬がそのことを信じる信じないは勝手であるが、信じれば成仏でき、信じなければ地獄に堕ちる、という極めて重大な結果が生じるだけである。

では、本題

実に簡単に明証できるではないか。
1、創価学会の誰が一体御本尊書写が出来るのか?
なんなら痴犬が「書写」してみるか?
而して痴犬の今後死ぬまでの姿を継続して詳細に観察したならば、必ずやその行為の是非について明確な結論がでるであろう。

(因みに当方が目の当たりにした体験では、御本尊を自分で書き写したり、コピーした人物を知っているが、27歳位で縊死した。
当方はその御通夜に参列したが、あまりに怖くてその死相を見ることは敢えてしなかったが、参列した別の方は後で、『顔は暗紫色になり、鬱血して腫れ、大変な相だった』と語っていた・・・
更に因みに、時々「友人葬(=学会葬=ニセ本尊を掲げ、在家が導師席に座り、経もどきを唱える真似事をして済ます儀式らしきもの。親戚縁者・近隣住民の顰蹙の対象となっているケースが実に多い。)で死んでも、いい顔だったわよ〜」と宣う学会員に出会うが、
日寛上人はこう仰せである。
■一、他宗謗法の行者は縦ひ善相有りとも地獄に堕つ可き事。
中正論【八 六十】に云く、縦ひ正念称名にして死すとも法華謗法の大罪在る故に阿鼻獄に入る事疑ひ無しと云云。私に云く禅宗の三階は現に声を失ひて死す、真言の善無畏は皮黒く、浄土の善導顛倒狂乱す、他宗の祖師已に其れ此くの如し末弟の輩其の義知る可し、師は是れ針の如し弟子檀那は糸の如し、其の人命終して阿鼻獄に入るとは此れ也云云。
要するに謗法団体の葬儀ではどんなに善い相に見えても地獄行きということである。)

御法主上人以外に「分かっている」のなら、誰が書いたっていいのだろう?(まるで邪宗日蓮宗の如くに)
さ、書いて見せよ。
しかもその痴犬もしくは創価学会の誰かが書いた曼荼羅もどきで成仏出来るという、教義的な裏づけも明確にせよ。
それが出来ないのなら、御本尊の御事は御相伝を受けられた御法主上人にしか出来ない=御法主上人にしか分からない。ということを自ら認めたことになる。

■曼荼羅書写の大権は唯授一人金口相承の法主に在り・敢て・沙弥輩の呶々する事を許さんや、
■曼荼羅書写本尊授与の事は・宗門第一尊厳の化儀なり
■然るに余門流の僧侶不相伝の侭猥りに曼荼羅を書き散して、僭越の逆罪とも思はざるのみならず・雑乱滅裂全き型式をだに得たるものなし、無法無慙の甚しきもの八大地獄は彼等の為に門を開けり・慎まざるベけんや、

との如くである。
―――――――――――
2、■「別して之を論ぜば十二箇条の法門あり甚深の血脈なり、其ノ器に非ずんば伝へず、此クの如き当家大事の法門既に日道に付属す、」(家中抄・日道伝)

の、『十二箇条の法門』を詳細に明示してみよ。
出来なければ、御相伝を受けられた御法主上人しか知っておられない、ということを自ら認めたことになる。