痴犬へ鉄槌 37  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 430()225431 p2253-ipbf11yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

当方> ▼当方は既に言ってある。「大聖人の下種仏法の本義に違う文義はこれを用いないのである。」と。

痴犬> ●維摩経は開目抄上〔御〕192中国・姚秦代の鳩摩羅什訳。
維摩詰所説経の略称で維摩詰経・不可思議解脱経・浄名経ともいう。
維摩詰は毘耶離城の長者で在家の信者であるが、舎利弗をはじめとする十大弟子を論破するほど大乗仏教に通達していた。
維摩経は、病床にあった維摩詰と見舞いに訪問した文殊師利菩薩をはじめ仏弟子達との問答の形で展開されている。
まず維摩詰は不思議を現じ解脱の境涯の不可思議を示し、更に大乗の妙理に男女の区別のないことを実証している。
また絶対の境地である不二とはいかなるものであるかの問答があり、維摩詰は黙然として、無言が不二門に入る法であることを教えたため、五千の菩薩は皆不二門に入ることができ、無生法忍の悟りを得たと説かれている。
本経の特色は小乗的思想を痛烈に破折して大乗仏教の奥義を明かしたことにあり、また在家信者の功徳を説いている。
この経の同本異訳の中、現存するものに、中国・呉代の支謙訳・仏法普入道門三昧経1巻、中国・唐代の玄奘訳・説無垢称経6巻がある。
また注釈書には天台の維摩経玄疏6巻、聖徳太子の維摩経義疏5巻など多くがある。
→維摩詰(参考文献)維摩詰所説経〔大〕14-537、開目抄上〔御〕192
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> ●貴札之れを開きて拝見す。御痛みの事、一には歎き、二には悦びぬ。維摩詰経に云く「爾の時に長者維摩詰自ら念へらく、疾みて床に寝ぬ。爾の時に仏文殊師利に告げたまはく、汝維摩詰に行詣して疾を問へ」云云。(太田入道殿御返事)
病気で悩んでいる旨の手紙を拝見して一度は嘆いたが、再度考えれば、かえって悦んでおられるとの御心情を吐露(とろ) なされ、その理由を順次御指南されます。
まず、維摩詰(ゆいまきつ)と釈尊の病を示す姿を挙げられ、そして『法華経』の「少病少悩」の経文を引かれています。
維摩詰とは仏の行化を助けられた在家の居士(こじ)ですが、太田氏が後に『三大秘法抄』を賜ったことや、当時大聖人様は佐渡での御苦労から少し病んでおられたことから拝考すれば、太田入道は大聖人の御教示の深意を信解するとともに、その大慈大悲に奮起精進し、立派に檀越としての使命を果たされたのです。
次に、病気の起こる原因やその病気の相を『維摩経』『涅槃経』『大智度論』『摩訶止観』等の経文論釈を引いて示されます。
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痴犬> ●御書に載っているのを用いない、狸野郎!おまえさんどこぞの何宗じゃい?
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●長々引用ご苦労さん。だが苦労しても全く的外れである。
大聖人の御義は、維摩経であろうが何であろうが、「法華経文底の本因妙の下種仏法の義に依って、文上の本果妙の脱益仏法の全ての文を判ずることである。」ということに変わりは無い。
また↑の御書辞典の内容や、どこぞのコピペも、依義判文とは、「法華経文底の本因妙の下種仏法の義に依って、文上の本果妙の脱益仏法の全ての文を判ずることである。」との当方の主張=当宗の法義を破る、なんら依拠となっていない。
全くの不可。徒労。課題提出やり直しである。
更に、一段その「依義判文」の本義をいえば、「唯授一人・血脈相承の御相伝に於いて、全ての御文を判じていくことを言うのである。」と言う事である。
もしこの義に明確な根拠を持って反論できるなら見たいものである。
依義判文については詳述済み。
↓痴犬の精一杯の足掻きを楽しみにしている。
http://toyoda.tv/chiken.tetsui36.htm