痴犬へ鉄槌 27  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 427()171920 p2253-ipbf11yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

次はこれいきますか。

当方> ▼5、こうして全文を閲するに、日因上人は、「唯授一人の血脈相承が破られた、」などとは一言も仰せになっていない。
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> 6、以上から、この文は、少しでも大聖人以来の化儀を用いていきたい、とする日因上人の峻厳な姿勢を仰せになっている箇所と拝するのである。
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痴犬> ●ふ〜んではもう少し先まで書こうか
> 「当山念珠の御相伝三通之れ有り、目師御筆、道師御目録之れ有り、然る処に十八代日精上人御代之れを失ふと見へたり日舜上人精師在府の砌り仰せ越され候へば長持の中に之れ有るべき由仰せ候へども之れ無しと見へたり、たとへ之れ有るも日典上人御代に大坊焼失の砌り焼け失せたる者か、故に今御目録十七条のみ之れ有り御相伝悉皆失ふ故、日忍上人日俊上人已来数珠相伝に当山の相伝之れを失ふ故に要法寺日大上人叡山相伝之れ有り、喜ばしい哉、悲い哉、大衆方正法を守ると云へども近代上人は皆正法を失ひ天台真言の邪義に附する故に今日因之を改め近代上人方の附邪の法を疑ふのみ(中略)三には当山日目上人の相伝悉く房州保田に有る故、四には要法寺二代日大叡山相伝当山に伝ふ、故に知んぬ近代上人方、要法寺日大の邪伝に附するのみ。」(富要1-377)
>
> ●通解:大石寺に念珠の御相伝が三通あった。そのことは日目上人の文書や日道上人の目録に記載されている。ところが17代日精の時にこれを紛失したということが記録にある。日舜上人が日精が江戸にいた時に、日精から相承を受けた際に、長持の中に相承書があるはずだと言われたが実際は無かったと書かれている。たとえその時には有ったとしても、日典上人の時代に大坊が焼亡した際に焼失したのであろう。したがって今は相承書の目録の十七ケ条だけが存在しており、御相伝書は悉く皆失われたので、21世日忍上人や22世日俊上人以来、数珠の相伝についての当山の相伝は失われてしまったので、替わりに要法寺日大や比叡山の相伝がある。喜ばしいと言うべきか、悲しいと言うべきか。大衆たちは正法を守っているにも拘わらず、最近の歴代上人は皆正法を失ってしまい、天台真言の邪義を付属しているので、今、日因がこれを改めて、最近の歴代上人たちの付属してきた邪義を疑ふだけである (中略)三には大石寺に伝わる日目上人の相伝は全て房州保田の妙本寺に有る故に、四には要法寺二代日大や比叡山の相伝が大石寺に伝わっている、だから知っているのである、近代の上人方は要法寺日大の邪義の相伝を付属しているのだということを。」
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> ●君が日因の文を用いるのであれば大石寺には江戸時代の日典上人の時代の火事で数珠に関する3通の相伝書ばかりか、全ての相承書は17項目の目録しか存在していないという
>  そればかりか、他山からかき集めて来て、日因上人が復活させたという事実を記録していますが〜相伝そのものが焼け失せていたとの事ですが〜
> その後数代の上人たちは、要法寺や天台真言の邪義を付属していたと書いているんですがねぇ〜 このように言っている日因の文(▼7、の文)を君は用いるのかい?答えよ。

●長々とご苦労さん。
1、さて、これはあくまで「袈裟数珠の事」のうちである。冒頭に、「当山念珠の御相伝三通之れ有り、」とあるが如くである。
であるから、ここに記されている内容のものはあくまで「当山念珠」に関連した御相伝(=化儀に関することで、唯授一人の内証相伝に関することではない。)である。
痴犬の妄執による邪推文「数珠に関する3通の相伝書ばかりか、全ての相承書は17項目の目録しか存在していないという」は全くの的外れである。
ニセ本尊の害毒と三宝誹謗の謗法罪で脳髄が侵されているから、ここの文意を素直に読めない、ひね曲がった根性と成り果てているのである。
ここにある、「御目録十七条」とは「念珠の相伝」に関する「目録」である。
痴犬、ここでも文が読めない、無能ぶりを露呈している。
それは
1、生来から愚鈍なのか、
2、はたまた学習問題児だったのか、
3、それともニセ本尊の害毒、三宝誹謗の謗法罪の悪果報なのか、
4、それともその全部か。
痴犬はどれに当て嵌まるのか。

2、「日典上人御代に大坊焼失の砌り」とあるが、これは富士年表にも記されていない。つまり、斯様な事実はなかった。
日典上人時代は、重須本門寺が度々火災をだしており、察するに、ここは日因上人が少々錯誤されたか。

3、痴犬はなぜ、態々「一には日主上人の立行関東奥方に残り伝はる故、二には当山古老僧皆之れを伝ふる故、」を略すのか。
「(この念珠の化儀については)一つには第十四世日主上人の化儀が関東の東北方面に残り伝わっていた。二つには大石寺の老僧方が古来の念珠の化儀を伝えておられた。」である。
痴犬とすれば、「その後数代の上人たちは、要法寺や天台真言の邪義を付属していたと書いているんですがねぇ〜」と言いたいが為には、確かに都合の悪い箇所であろう。
しかし、このように、自らの邪論を押し通す為には、平気で原文を押し隠し、恬として羞じない、その卑怯な厚顔無恥さ加減は、やはり、
1、生来のものか。
2、それとも成長する環境が悪かったのか。
3、それともニセ本尊の害毒、三宝誹謗の謗法罪の悪果報なのか、
4、それともその全部か。
いずれにせよ、唾棄すべき卑しい振る舞いである。

さて、このように詳細に見てくると、この日因上人の仰せは、全体として念珠の化儀についての事実をそのまま記されておられることであり、何か問題でもあるのか?
痴犬よ、もし何か問題があるのなら、教義的に明確に明示してみよ。
痴犬は自分で意味不明な邪文を出した手前、引っ込みがつかなくなっているだけである。
ぶざまな醜態である。
さ、何が問題なのか提示せよ。
もしできなければ、またその提示した内容が、教義的に問題ないことが当方から再度証明されたら、痴犬は謝罪⇒脱会。いいな。