痴犬へ鉄槌 12  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 420()122936 p2253-ipbf11yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

> DATE:  4月20日(木)03時08分47秒
> TITLE: 返答不能ですな!卑怯者よ
> NAME: エロ如68号  MAIL:
>
> ☆おいおい以下の私の質問に対する返答はどうした?
〜〜〜どうなんだい?』

↑については既に痴犬の設問自体が大聖人の御指南
■「即身成仏と申す法門は、世流布の学者は皆一大事とたしなみ申す事にて候ぞ。就中予が門弟は万事をさしをきて此の一事に心を留むべきなり。」
を無視し踏みにじる謗法の邪義であることは詳述してある。
http://toyoda.tv/chiken.hodoin2.htm

痴犬こそこの破折に教義的に明確に反論できていない。
はい、やり直し、である。
―――――――――――
> (三宝論)

痴犬> ●『大石寺門流の三宝論は日寛上人が確立したもので、「当流行事抄」に「久遠元初の三宝」として論じられ、「久遠元初の仏宝」は「蓮祖大聖人」、「久遠元初の法宝」は「本門の大本尊」、「久遠元初の僧宝」は「開山上人」、と規定されている。
> そしてこの久遠元初の三宝は、末法今日に出現して衆生を利益する。
> すなわち日寛上人はは、法華経本門の説相から導かれる「 在世の三宝」と区別すべき「末法出現の三宝」「末法下種の三宝」として、久遠元初自 受用身即日蓮(仏宝)・戒壇本尊(法宝)・血脈付法の二祖・日興(僧宝)の三を立てている。』
>
当方> ▼まず、「大石寺門流の三宝論は日寛上人が確立したもの」との、この前提が全くの己義である。
> さもなくば、古文を読めない学習能力不足の愚か者である。(これは痴犬のみならず松岡脱落僧にも共通している破折である。)
>
痴犬> ●では三宝論は誰が確立したものなんだい?答えよ!

●バカ犬には、やはり古文は難しいらしいな。

■「次に僧の恩をいはゞ、仏宝・法宝は必ず僧によて住す。譬へば薪なければ火無く、大地無ければ草木生ずべからず。仏法有りといへども僧有りて習ひ伝へずんば、正法・像法・二千年過ぎて末法へも伝はるべからず。故に大集経に云はく「五箇の五百歳の後に、無智無戒なる沙門を失ありと云って是を悩ますは、この人仏法の大灯明を滅せんと思へ」と説かれたり。然れば僧の恩を報じ難し。されば三宝の恩を報じ給ふべし。古の聖人は雪山童子・常啼菩薩・薬王大士・普明王等、此等は皆我が身を鬼のうちがひとなし、身の血髄をうり、臂をたき、頭を捨て給ひき。然るに末代の凡夫、三宝の恩を蒙りて三宝の恩を報ぜず、いかにしてか仏道を成ぜん。」

↑この御文がまさに大聖人の三宝論ではないか。
「バカにつける薬なし」とは京都の痴犬のための諺であったか。

その道理は↓で詳述済み。
痴犬には最早理解できなくても結構。理解できないそのバカさ加減を何度でも繰り返し披露してくれればそれでお役目は十分果たしたことになる。
ご苦労様。
http://toyoda.tv/chiken.tetsui9.htm
文証等は↓
http://toyoda.tv/chiken.tetsui10.htm

これで分からなければそれは自身の能力不足であることの証明であるから、創価学会員の蒙昧ぶりが鮮明になって大いに結構。
―――――――――――
当方> ▼痴犬に宿題しておいた↓に対しての反論はまだか?
> 大聖人の御法門において、三宝の御義は顕されておられる。
> http://toyoda.tv/tciken15.htm
> ↑から抜粋し若干の編集を加え再掲する。
>
痴犬> ●予選も通過できない愚かな君が私に宿題を出す資格はないんだよ。
> いい加減、いつまで待たすんだい ホザクのはこちらの質問に答えてからにしな

●駄犬には反復学習がかなり必要らしい。
痴犬の質問など大聖人の御言葉からして全く論ずる対象外である。

■「即身成仏と申す法門は、世流布の学者は皆一大事とたしなみ申す事にて候ぞ。就中予が門弟は万事をさしをきて此の一事に心を留むべきなり。」
詳述⇒http://toyoda.tv/chiken.hodoin2.htm

しかし、ほとほと頭が悪いな。京都の青年部は。

> ―――――――――――
当方> ■「次に僧の恩をいはゞ、仏宝・法宝は必ず僧によて住す。譬へば薪なければ火無く、大地無ければ草木生ずべからず。仏法有りといへども僧有りて習ひ伝へずんば、正法・像法・二千年過ぎて末法へも伝はるべからず。故に大集経に云はく「五箇の五百歳の後に、無智無戒なる沙門を失ありと云って是を悩ますは、この人仏法の大灯明を滅せんと思へ」と説かれたり。然れば僧の恩を報じ難し。されば三宝の恩を報じ給ふべし。古の聖人は雪山童子・常啼菩薩・薬王大士・普明王等、此等は皆我が身を鬼のうちがひとなし、身の血髄をうり、臂をたき、頭を捨て給ひき。然るに末代の凡夫、三宝の恩を蒙りて三宝の恩を報ぜず、いかにしてか仏道を成ぜん。」
>
> ▼2、仏宝・法宝は「僧」によって、永遠に存在できる。⇒「僧」がいなければ、存在し得ない。
> 痴犬は日興上人のみを「僧」と立てる。それでは日興上人御遷化の後は、仏宝・法宝は断絶するということになる。大矛盾である。
> 痴犬なるが故に、こういう当たり前な道理が分からないのである。
>
―――――――――――
痴犬> ●いつ私が日興上人のみが僧だと言ったのか?明確に答えよ!いい加減な事を言うでない!

●はい、ここも莫迦丸出しの愚昧さ爆発、といったところか。
現に痴犬は御法主上人をはじめ、現宗門の御僧侶の存在と意義を否定している。
では現時では誰が「僧」なのか?
日興上人以外の誰を「僧」と言っているのか。明示せよ。
(まさか、まさか「創価学会だ」なんてそんな恥かしさこの上ない痴論を吐くのではないだろうな?
まっ、それでもいいがね。粉々に粉砕するまでだが。)
いずれにせよ、「僧」によらなくては、仏宝も法宝も住しない。つまり功徳は顕れないのである。
では現時で、仏宝・法宝を大聖人から由緒正しく、伝え、住せしめている者=「僧」は誰か?
その由来を系統正しく教義的に明確に、ここに挙げてみよ。(痴犬レベルでは到底無理だろうが。)

1、第一、創価学会の法宝とは何か?
明確に述べてみよ。(ただし「戒壇の大御本尊」という心算ならば、大いに用心して述べたまえよ。老婆心ながら忠告しておこう。)
2、その「創価学会の法宝」とやらは一体どうやって世に出現し、どうやって現時に伝わってきたのか。
3、それを伝えた「僧」とは誰か?

さあ、痴犬は「日興上人以外に僧がいる」というのだから、その少し弱いらしい頭で、頑張って明答を出していただこうか?
それとも、また

痴犬> ●予選も通過できない愚かな君が私に宿題を出す資格はないんだよ。
と逃げを打つか?
どちらでも当方はかまわないが、下手な回答だと、京都創価学会青年部のバカさ加減がさらに有名になるぞ。気をつけたまえ。
―――――――――――
当方> ▼3、その道理は、譬えで更に明確である。
> @火=仏宝・法宝 は 薪=僧宝 があるからはじめて存在し得るのである。
> 火は何も無いところで、空中でいきなり燃えることはない。
> 言い換えれば、薪=僧宝 がおわさなければ、火=仏宝・法宝は存在し得ないのである。であるから、例えば、「歴代の何々上人は僧宝ではない。」などという馬鹿者は、「仏宝・法宝も消えた。」と言っているに等しい愚かさなのである。
> ここの意を「三宝一体」と言うのである。
> だから、如何なる理由があれ「僧宝」であられる歴代上人を謗ることは「仏法の大灯明を滅する行為」であり、まさに「謗法」なのである。
>
痴犬> ●どこまでもプウ〜でんなぁ〜マサシ君よこの四恩抄に説かれる三宝のうちの、僧というのは正法伝持の僧だという事が君の法主中毒の頭ではわからんのだろう〜

●いよいよバカさ炸裂である。
「正法伝持の僧」という、
1、「正法」とは何か?(「大聖人の仏法!」などという曖昧な愚答では不可である。予め釘を刺しておく。何せ駄犬は平気でこういう幼稚園児並みのノリで何か仰るから、まことに世話が焼ける)
2、「伝持」とは、「伝え持つ」ことだが、具体的にはどのようにしていることか。
教義的に明確に明示してみよ。
あまりの愚答も気をつけたまえ。恥の上塗りになりかねから。
―――――――――――
痴犬> 神札受けたり自殺を決意して焼け死ぬような行躰をさらす君んとこの誤法主は、僧宝なんかじゃないんだよ うれしそうにいっぱい御文をひいても騙されるのはろくに御書も読めないホーケイ講員だけでしょう 空を切る刀ですな ハッハハハハー

●↑とうとう、というかやはり当然というか、教義的に反論不能になるとこのようにただの悪口しか吼えられないところが駄犬の駄犬らしいところである。
日恭上人の御事についてはかくも詳細に完摧済みである。
http://toyoda.tv/tciken13.htm
http://toyoda.tv/tciken.saikai11.htm

痴犬からはその後明確な反論がされていないが?
どうした?もう、限界か?
教義的な反論も出来ずに、誹謗するだけなら子供以下である。
さ、頑張って関西の創価学会の根性を見せてもらいましょう。駄犬と言われないように頑張れ。
―――――――――――
痴犬> それとも君は歴代法主にナンミョウ〜するんかい?南無する対象かい?
>
●ここもまるで三宝義が理解でいない虚け者の代表者のような箇所である。
歴代上人に「南無」を冠した観念文を創価学会員は何十年も読んできた。
その歴代会長も含めた創価学会員全てへ、痴犬は「それとも君は歴代法主にナンミョウ〜するんかい?南無する対象かい?(心の声=「バッカじゃない?」いや関西では「アホちゃうん?」か?)」と唾を吐きかけ、愚弄・嘲弄し、その創価学会の信仰の歴史を唾棄しているのである。
しかもその愚行に自らが気がついていない愚昧さである。
こういう言動を為す者をまさに頭破七分と正統門家では呼んでいる。
創価学会ではこの痴犬のように自らの所属団体の歴史に唾を吐き垂れる者をなんと呼ぶのであろう。
―――――――――――
痴犬> ●「外道・悪人は如来の正法を破りがたし。仏弟子等必ず仏法を破るべし。師子身中の虫の師子を食らふ等云云。大果報の人をば他の敵やぶりがたし、親しみより破るべし。〜

●出ました。まさに説相の筋目を見失って、(というより始から分からず、)盲滅法に御文を引文する典型的な例。
御書の所対と書かれた目的を大綱として掴んでいないから、このような失態を演じる羽目になる。

この佐渡御書は概ね、大聖人とその門下が法華経を強盛に弘通する故に難に遭う意義を明かされ、さらにその心構えと決意を促されているのである。
つまり脱益仏法を廃しそこから下種仏法の出現時に起こる逢難の相についてお述べになっておられるのである。
しかして、この時代は法華経迹門すら隠没しており、結局権教対実教との対決の構図が表になっているのである。
そこで、この御書に一貫している説相は、大聖人とその門家が法華経弘通の故に、権教等の邪僧らと幕府権力が結託して弾圧をする、その難を受ける、ということである。
この一貫する説相から、この御書を拝する基本的姿勢が生じる。
つまりは権実相対の辺に於いての御教示なのである。
それを証明する御文は、

■釈教の中に小乗・大乗・権経・実経雑乱して明珠と瓦礫と牛驢の二乳を弁へざる時は、天台大師・伝教大師等の如く大小・権実・顕密を強盛に分別すべし。畜生の心は弱きをおどし強きをおそる。当世の学者等は畜生の如し。智者の弱きをあなづり王法の邪をおそる。諛臣と申すは是なり。強敵を伏して始めて力士をしる。悪王の正法を破るに、邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は、師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし。例せば日蓮が如し。

などに明確である。
この権実相対の辺によって、痴犬の引文した御文
■外道悪人は如来の正法を破りがたし。仏弟子等必ず仏法を破るべし。「師子身中の虫の師子を食む」等@云云@。大果報の人をば他の敵やぶりがたし。親しみより破るべし。

を判ずるに、
「正法」=法華経二十八品
「仏弟子等」=権教に執着する邪僧等。良観・道隆等
「師子身中の虫の師子を食む」=釈尊の仏教を学する者の中から釈尊の真の教え=法華経を破る者が顕れる。
等となり、痴犬が言いたい、「日蓮正宗内の仏弟子が大聖人の仏法を破る」などという怪釈にはどう間違ってもならないのである。

この御文が権実相対の辺であり、下種の本仏大聖人出現往時の予言であることの証拠は痴犬が引文した続きの以下の御文にも明確である。

■薬師経に云はく「自界叛逆難」是なり。仁王経に云はく「聖人去る時七難必ず起こらん」云云。金光明経に云はく「三十三天各瞋恨を生ずるは、其の国王悪を縦にして治せざるに由る」等云云。
 日蓮は聖人にあらざれども、法華経を説の如く受持すれば聖人の如し。

この引文は立正安国論にも共通しており、まさに下種の本仏日蓮大聖人御出現の相を脱益の仏、釈尊が予言された文言であり、大聖人往時の鎌倉の相をお説きなのである。

その脱益仏法の終焉の説相を、そのまま短絡的に末法万年の下種仏法の流伝の相へ当て嵌めようとすること自体がまさに法門未熟者だからこその為さる技、と哂われるのである。
―――――――――――
痴犬> 「当来の世仮りに袈裟を被て、我が法の中に於て出家学道し、懶惰懈怠にして此等の方等契経を誹謗すること有らん。当に知るべし此等は皆是れ今日の諸の異道の輩なり」等云云。此の経文を見ん者自身をはづべし。今我等が出家して袈裟をかけ懶惰懈怠なるは、是れ仏在世の六師外道が弟子なりと仏記し給へり。」(佐渡御書)
> おたくんとこの謗法ハゲが正法を滅するんだよ ハッハハハハハー!

●ここも、懸命に御文を引文しても、やはり全くの徒労であった。ご苦労さん。
この御文も佐渡御書の御文であり、「一貫している説相は、大聖人とその門家が法華経弘通の故に、権教等の邪僧らと幕府権力が結託して弾圧をする、その難を受ける、ということである。」
こういう説相の筋道を外してどう読んでも大聖人の御心には全く通じない、のみならず邪見を増し悩乱するばかりである。

まず、この段の全文を挙げれば全てが領解できるというものである。

■般泥洹経に云はく「当来の世、仮りに袈裟を被て我が法の中に於て出家学道し、懶惰懈怠にして此等の方等契経を誹謗すること有らん。当に知るべし、此等は皆是今日の諸の異道の輩なり」等云云。此の経文を見ん者自身をはづべし。今我等が出家して袈裟をかけ懶惰懈怠なるは、是仏在世の六師外道が弟子なりと仏記し給へり。法然が一類、大日が一類、念仏宗・禅宗と号して、法華経に捨閉閣抛の四字を副へて制止を加へて、権教の弥陀称名計りを取り立て、教外別伝と号して法華経を月をさす指、只文字をかぞふるなんど笑ふ者は、六師が末流の仏教の中に出来せるなるべし。うれへなるかなや。

では、ここも権実相対の辺において判じるのである。
「方等契経」=法華経
「此の経文を見ん者自身をはづべし」=権教の邪僧へ対しての大聖人の破折
「今我等が出家して」=他の権宗の邪僧等と出家した者としては一往同等の立場を仰せになられたものである。しかし、邪僧等とは全く別であるとの御心は「日蓮は聖人にあらざれども、法華経を説の如く受持すれば聖人の如し。」で明白である。
であるから、「出家して袈裟をかけ懶惰懈怠なる」者は誰かといえば、「法然が一類、大日が一類、念仏宗・禅宗」の権宗の邪僧等を指しておられるのである。
であるから、痴犬の蛮声「おたくんとこの謗法ハゲが正法を滅するんだよ ハッハハハハハー!」は恥ずかしいだけで、全く不可である。

因みにこの御文を戸田氏が解釈して「この六師外道の末裔=法然が一類、大日が一類、念仏宗・禅宗等が今度は日蓮宗内に生まれてきて魔族となって日蓮正宗へ災いを為す(趣意)」等の発言していたが、それはまさに、今職業幹部として、創価学会からの給料という不労所得によって寄生虫のように棲息している創価学会の職業幹部連が多くの衆生の戒壇の大御本尊への信を妨げているその姿のことではないか。
会館の職員もまさにそれに準ずる。
痴犬は違うらしいが、(それを証明された訳ではないが)お知り合いの会館職員へよく伝えて欲しいものである。