痴犬へ鉄槌 1  投稿者:管理人(樋田昌志)  投稿日: 412()154036 p2253-ipbf11yosida.nagano.ocn.ne.jp

  引用

 

 

6125.予選落ちのマサシ君ぼちぼち頼んまっせー

名前:エロ如68号    日付:3月26日(日) 5時52分
逃亡中のマサシはん 早いとこ以下の質問に明確に答えてや〜
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●<信心修行の途上で誰人にも起こりうる法門理解における誤解であって、結局は第六十六世日達上人の御采配によって全て円満に決着している問題である。

▼↑というのであれば法門理解における誤解を誰がされたんでしょうか?
 円満に決着したのはいつ、何によってでしょうか?簡単な質問やー
 先に答えやなアカンわな〜順番守ってや〜 前からずっと聞いてんねんけどな〜
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●自分が今現実に牢獄に繋がれて、明日か明後日にも死刑になるかもわからない、という者が、現在明るく暮らしている一般家庭内の、しかも30年もの前のちょっとした兄弟同士間の誤解を今云々してどうなるというのか?
そんなことにイチャモンつけるより、まずは、自分のまさに死刑にされるという我が身の境遇を真剣に考えなえばならんであろう、と何度も教え諭しているのに、ニセ本尊による害毒で頑迷極まりない痴犬と成り果てた貴公らには全く分からないで、こういう恥問を際限なく繰り返し、創価学会員のバカさ加減を遺憾なく、世に示しているのである。
何度言って聞かせても分からない者はやはり「莫迦」というしかない。
こういう道理が分からないのも、ニセ本尊による、『貪・瞋・癡』が熾盛による故であろう。
なかんずく『癡』=道理が分からなくなり、畜生同然の精神状態・生活状態となる。

ま、しかし、貴公らの役割は、やはり創価学会の「人間改悪」の実証を示すことにあるようである。
大いにご苦労様。労ってあげましょう。

内容については、以下の破折文で十分である。
http://toyoda.tv/neirakuji.htm#1
http://toyoda.tv/tciken7.htm
痴犬にはもはや理解できなくてよろしい。
他の良識ある閲覧されている方に創価学会員の愚弄さを見ていただければそれで十分である。
が、以降はこの愚問を再度した場合は、板のスペース無駄使いであるので、たちどころに削除する。
また、教義的内容が無く、くどくどしい場合はアク禁に処す。
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(゜o゜)正しく受持信行する法華経の行者が大聖人の御書を基準にして判断するに決まってるでしょうが

●(マサシくん云く)
<正しく⇒
1、何を
2、どう信じることが、正しいのか。
文証を挙げ明確に証明せよ。

(゜o゜)はぁ〜御本尊をたもち南無妙法蓮華経を信じ奉り、日々精進することでんがな〜
君はそんな事もわからんてか〜
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●ここも全く三大秘法の片鱗すら領解できていない大馬鹿者の戯言(たわごと)である。

※詰問1
@「御本尊」⇒では身延のみやげ掛け軸も「本尊状」であるが、ここへ「南無妙法蓮華経」と唱えたら、正しいのか。
1、「はい」⇒では、身延のみやげ本尊は謗法ではないのだな?
以下の戸田氏(もしくは創価学会)の説に真っ向から違背するがその矛盾を説明せよ。

▼【折伏教典】(折伏教典三二三)
富士大石寺に背く謗法のやからがもつご真筆の御本尊には、大聖人の御魂は住まわれるわけがないのである。そこで、もし、このようにたしかなご真筆の御本尊を拝した場合は、大石寺の御法主上人の御手元に移し、改めて感得願いを申し上げて、大御本尊に直結した御本尊として御下げ渡し願えば良いのである。また信仰の対象として一切をささげて南無したてまつる御本尊であるから、総本山においてはご相伝により、代々の御法主猊下お一人が、おしたためあそばされるものであり、我等信者が云々すべきも恐れあることである。三大秘法抄、観心本尊抄等の御文に照らして拝察するならば、勝手な御本尊を拝むことが大きな誤りであることがはっきりわかるのである。これは不相伝なるが故に仏法の深義に迷うのであって不相伝家は皆本尊に迷うということが言えるのである。
それ(興尊が集めた大聖人御真筆本尊)にもれた一部のものが、ある人々に移り伝わって今日、ご真筆として勝手に信仰の対象とされているのである。ただし、これはちょうど電灯にたとえて考えてみると、(御本尊を電球にたとえることはもったいないことではあるが)ヒューズがとんで電流が流れてこない電灯は、電球が切れていないからといって、いくらつけても明るい光を発しないようなもので、電球は本物であっても、電流が流れてこなければ光が出ないのである。御本尊が大聖人の御真筆であっても、大御本尊に直結しなければなんの功徳もないのである。したがって富士大石寺の大御本尊を拝まないものは全て謗法である。

2、「いいえ」⇒創価学会販売のニセ掛け軸(状に見せかけた一枚印刷もの)の本尊もどきと、身延みやげ本尊はどこがどう違うのか。
教義的に明確に説明せよ。
(かつても同類の詰問を痴犬に(他の創価学会員に・・例えば沖浦氏とか)しているが、いまだ、明解がきたことが無い。
この詰問をクリアできなければ貴公ら創価学会員は大謗法のニセ魔仏を拝んでいることになる。
急ぎ急ぎ、身の潔白を証明してみせよ。)

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■「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり」(日女御前御返事)

▼「御本尊」は、正しき信仰心をもって南無妙法蓮華経と唱える者の胸中にあるんだよん
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●ほとほと幼稚である。
奈良法論でのT氏は入信したのは昭和40年後半と言っていたと記憶するが、一体何をしてきたのか、驚くべきほどの無教学ぶりである。
ほとんど幼児に等しいレベルである。
なるほどこれだから退転する訳である。

@ここの「法華経」とは何か?
Aでは世の中では「法華経」を修行する者は多々いるが、それらが「南無妙法蓮華経」と唱えればみなその胸中に「御本尊」が生じるのか?
その「御本尊」はどうのような相貌か?

この御文の御心は
「この三大秘法の御本尊の所生の体と力用は、我々が、法華経=戒壇の大御本尊(能生の根源の御本尊様)を、身・口・意の三業に信仰して(=戒壇の大御本尊へ参詣できる資格を与えられ、その実践を現に行って、)本門戒壇の大御本尊を無二に信じ奉って「南無妙法蓮華経」と本門の題目を唱える時に、我が胸中に涌現し給うのである。これを仏界と言うのである。」
と概ね拝するのであって、本門戒壇の大御本尊へ、また戒壇の大御本尊の御内証を唯授一人・血脈相承された御法主上人が書写された御本尊及び御形木御本尊(むろん御法主上人の許可がある御本尊に限る)へ「南無妙法蓮華経」と本門の題目を唱えた時、三大秘法が整足し、はじめて我が胸中に仏界が涌現させていただけるのである。
痴犬の怪釈は全くの的が呆けた、不適格で、妄執深き、珍釈・眇釈である。
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▼正しき信仰心ってのは御本尊はどこかほかのところにあるのではなく、南無妙法蓮華経と唱える衆生の生命にあり、強盛な信心に励むなかに、偉大な功徳があると信じる事なんだよん 法主信仰じゃねーんだよん!
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●@では、「南無妙法蓮華経」と唱える、立正佼成会・霊友会・顕正会。。。その他諸々の宗派を「強盛」に「信心」している信徒でも胸中に「御本尊」は存在し、「偉大な功徳」が生じるのか。どうか。明確に答えよ。
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▼それとも君は創価学会には御本尊がないとでも言いたいのかい?邪教の君にはニセに見えるかもしれんがうちには寛師御図顕の立派な御本尊があるんですわ でも上記のような正しい信仰心が大事なんだよ。
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※詰問1に対し、論理矛盾なく、教義的に明解に説明してみよ。
出来たら、創価学会の掛け軸に見せかけた販売物を「本尊」と認めてあげよう。
さあ、頑張れ!
30年前の法道院がどうの妙観講がこうの言っている場合ではないぞ。呵々。

因みに
http://toyoda.tv/tciken.saikai7.htm

↑これについても回答がない。急ぎ反詰してみせよ。