●世法
▲天晴れぬれば地明らかなり、法華を識る者は世法を得(う)べきか。662

▲外典(げでん)開会の文は「若し俗間(ぞっけん)の経書(きょうしょ)・治世の語言(ごごん)・資生(ししょう)の業(ごう)等を説かんも皆正法に順ぜん」98

▲智者とは世間の法より外に仏法を行なはず、世間の治世の法を能(よ)く能く心へて候を智者とは申すなり。減劫御書  建治元年  五四歳 925

▲仏法は体(たい)のごとし、世間はかげのごとし。体曲がれば影なゝめなり。(諸経と法華経と難易事 弘安三年五月二六日 五九歳 1469)

▲「ぬし(主)のせい(身長)といひ、かを(面)・たましひ(魂)・むま(馬)・下人までも、中務のさえもんのじゃう(左衛門尉)第一なり。あはれ(天晴)をとこ(男)やをとこや」と、かまくら(鎌 倉)わらはべ(童)はつじぢ(辻路)にて申しあひて候ひしとかたり候。四条金吾殿御書   建治四年一月二五日  五七歳 1197

▲御みやづかい(仕官)を法華経とをぼしめせ。「一切世間の治生産業は皆実相と相違背(いはい)せず」は此なり。檀越某御返事   弘安元年四月一一日  五七歳 1220

まことのみちは世間の事法にて候。金光明経には「若し深く世法を識れば即ち是仏法なり」ととかれ、涅槃経には「一切世間の外道の経書は皆是仏説にして外道の説に非ず」と仰せられて候を、妙楽大師法華経の第六の巻の「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」の経文に引き合はせて心をあらわされて候には、彼々の二経は深心の経々なれども、彼の経々はいまだ心あさくして法華経に及ばざれば、世間の法を仏法に依せてしらせて候。法華経はしからず。やがて世間の法が仏法の全体と釈せられて候。
爾前の経の心は、心より万法を生ず。譬へば心は大地のごとし草木は万法のごとしと申す。法華経はしからず。
心すなはち大地、大地則ち草木なり。爾前の経々の心は、心のすむは月のごとし、心のきよきは花のごとし、法
華経はしからず。月こそ心よ、花こそ心よと申す法門なり。此をもってしろしめせ。白米は白米にはあらず。す
なはち命なり。1545