▼ご質問・ご確認の件です。
 
>すると今回の箇所 「未曾顯実」 は 大正時代編纂(1924〜1934)の 大正新脩大藏経 では 「未曾顯実」 だが 
>「三」(つまり、増上寺所蔵の宋版・元版・明版の三者)及び、
>「宮」(つまり、宮内庁書陵部の宋版一切經)では「未顯眞実」となっている。
>ということですね。つまり、両様あると。
>そうなると、これは 天台大師の 「誤記」 と断定できないのではないですか?
>まず、ここについて論を詰めましょう。

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▼ 私は以下の通り書きました。

「智様が参照した無量義経自体が誤植していたか、あるいは智様が誤って引用したか。」

つまり、『天台大師の「誤記」と断定』は最初からしていません。

他のメールを含め、私が断定をしていますか?そうであれば教えてください。
そうでなければ、『天台大師の「誤記」と断定』したのは誰でしょうか?

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● あなたは、このように言ってますね。

▼ 
智様が参照した無量義経自体が誤植していたか、あるいは智様が誤って引用したか。
いずれにせよ、これは誤引用の類であり、日蓮様はその誤引用を忠実に採用されています。
このような誤引用を仏説理解の根拠として採用することはできません。


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● 「天台大師が誤引用」 と断定はしてませんが、当該箇所の「未顯眞実」自体は、誤引用と断定してますよね。
つまり、今存在している無量義経の「未顯眞実」は誤引用である。
日蓮様もその誤引用をそのまま踏襲している。
だからその文を根拠とした教義展開は採用できない。つまり認めない。  ということですよね。

この時点では、無量義経自体の真偽問題には触れていないですよね?

ですから、私はまず、この 誤引用かどうかをまず検証して、その後に、無量義経の真偽問題へ進みたいと思います。

また、それがあなたから送られてきたメールの順序ではないですか?
しかも、テーマを絞りたいとの意向はあなたからですよね?

ですから、一つ一つ、丁寧に検証し解明していくべきだと思います。

ですので、質問を言い換えます。

この 無量義経 は大蔵経によっては 「未曾顯実」 「未顯眞実」 両様の表記があって、特段 「未顯眞実」 は誤引用とは断定できませんよね?

これでいかがでしょう。