● では、テーマを絞りまして、「未曾顯実」 と 「未顯眞実」 について考証してまいりましょう。


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http://digitalnagasaki.hatenablog.com/entry/2018/04/08/032008

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脚注の6番に着目してみると、一番左の『大正新脩大藏経』では「踊」としているものの、
「三」(つまり、増上寺所蔵の宋版・元版・明版の三者)及び、
「宮」(つまり、宮内庁書陵部の宋版一切經)では「涌」となっている、

ということが書いてあります。
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なんとなくこれな気がしますが、どう思います?
流し読みしかしていないので…ほんと、ご参考までで。

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● まことにありがとうございます。
私も当該ページを検索してみました。
この内容は大変に重要であると驚きました。
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★『ここで、(引用者注※従地涌出品の「涌」) 脚注の6番に着目してみると、一番左の『大正新脩大藏経』では「踊」としているものの、「三」(つまり、増上寺所蔵の宋版・元版・明版の三者)及び、「宮」(つまり、宮内庁書陵部の宋版一切經)では「涌」となっている、ということが書いてあります。
そこで、とりあえずIIIFで参照できる資料を見てみますと、真ん中の2つ、遅くとも11世紀以前であることが想定される敦煌写本では「踊」となっており、一方、右側の、明代末〜清代に刊行された万暦版大藏經(≒明版、ただし、大正新脩大藏経の校訂時に参照した刷りとは異なるので要注意)では「涌」となっています。
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この箇所ですね。

すると今回の箇所 「未曾顯実」 は 大正時代編纂(1924〜1934)の 大正新脩大藏経 では 「未曾顯実」 だが 
「三」(つまり、増上寺所蔵の宋版・元版・明版の三者)及び、「宮」(つまり、宮内庁書陵部の宋版一切經)では「未顯眞実」となっている。  ということですね。

つまり、両様あると。

そうなると、これは 天台大師の 「誤記」 と断定できないのではないですか?

まず、ここについて論を詰めましょう。