▼ 2018/08/16 21:36

ご連絡ありがとう御座います。

>今回もレスの速さに色々な意味でびっくりしました。

いつもすみませんね。自分から電話したので、気にはしています。
私に支障ない範囲で早めに返事をしておる次第です。


>スッタニパータに即したどのような修行をして、どういう境界(=つまり、ニルヴァーナですか?) に到達したのか?

すみません、先のメールとの関係で、このご質問の意図が分からないです。

>私は、この後半の句を実にリアルにこの心身に感じていますよ。

日蓮正宗の実践をした結果、貴方もこのようになったと理解しました。
あとは、それがスッタニパータの修行結果と同じかどうか、だと思います。
スッタニパータ記載の通りに実践すれば確認はできると思います。

確認結果は、言語化がかなり困難と思います。
少なくとも私は形而上学的な領域だと思っているので、言及を控えさせて頂きます。

貴方のメールについて、私が何かを誤解している可能性があります。その時はすみません。
どのみち「そのまま記載の通りやって、ご自身で確認してみください。」という返答になります。

ご連絡、ありがとう御座いました。

JFKY

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● 2018/08/18 11:45

▼ Sent: Thursday, August 16, 2018 9:36 PM

ご連絡ありがとう御座います。

>今回もレスの速さに色々な意味でびっくりしました。

いつもすみませんね。自分から電話したので、気にはしています。
私に支障ない範囲で早めに返事をしておる次第です。


>スッタニパータに即したどのような修行をして、どういう境界(=つまり、ニルヴァーナですか?) に到達したのか?

すみません、先のメールとの関係で、このご質問の意図が分からないです。

>私は、この後半の句を実にリアルにこの心身に感じていますよ。

日蓮正宗の実践をした結果、貴方もこのようになったと理解しました。
あとは、それがスッタニパータの修行結果と同じかどうか、だと思います。
スッタニパータ記載の通りに実践すれば確認はできると思います。

確認結果は、言語化がかなり困難と思います。
少なくとも私は形而上学的な領域だと思っているので、言及を控えさせて頂きます。

貴方のメールについて、私が何かを誤解している可能性があります。その時はすみません。
どのみち「そのまま記載の通りやって、ご自身で確認してみください。」という返答になります。

ご連絡、ありがとう御座いました。

JFKY

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● すみません。 ニルヴァーナ 涅槃 ここが法華経の極理からは 生死即涅槃  という教義であり境地なので、誤解がありましたかね。
いづれにせよ、このスッタニパータの下句の境界をもう少し具体的に教えていただけませんか?

再掲となります

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> 苦しみを知り、また苦しみの生起するもとを知り、
> また苦しみのすべて残りなく滅びるところを知り、
> また苦しみの消滅に達する道を知った人々、 ---
> かれらは心の解脱を具現し、また智慧の解脱を具現する。
> かれらは(輪廻を)終滅させることができる。
> かれらは生と老いとを受けることがない。
>
> ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>
> の境界を少し具体的に、実生活に即して、どんな御境界に到達したのか、差し障りのない範囲で結構ですから、教えていただけませんか?
> それは真面目に是非お伺いしたいです。

どうかよろしくお願いします。<m(__)m>

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▼ 2018/08/18 16:23

こんにちは。

ご連絡ありがとうございます。

お気持ちにお応えしたいのですが、ここは本当に大事なことと思います。
私なりに誠意をもって真面目に回答しているつもりであること、ご了承ください。

当該の下の句に至る方法ついては、
スッタニパータの他の箇所でかなり明確に言及されています。

ご自身で実践して、ご自身で証されるのが近道であり確実と思います。

ご連絡ありがとうございました。

JFKY

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● 2018/08/18 17:31

 ご返答ありあがとうございます。
ですが本当にこの↓境地に達しておられるのならば、御自分の生活実感として、身体実感として、もう少し詳しくご説明いただけるはずと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
苦しみを知り、また苦しみの生起するもとを知り、
また苦しみのすべて残りなく滅びるところを知り、
また苦しみの消滅に達する道を知った人々、 ---
かれらは心の解脱を具現し、また智慧の解脱を具現する。
かれらは(輪廻を)終滅させることができる。
かれらは生と老いとを受けることがない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
釈尊は、スッタニパータでも誰人の問いに対しても、丁寧にお答えになっておられると拝します。
上記の境界は、まさに釈尊の究極の悟りであり、その根本は”慈悲”ですね。
慈悲が開かなければこの境界は絶対に体感できません。
本当にこの境界にある者は釈尊と同様の大いなる慈悲ある人ですから、質問にはもっと丁寧且つ誠実にお答えいただけると思います。

それと、スッタニパータでも確か”慳貪”の罪 ということが説かれていたかと思いますが、どうでしたか?
出し惜しみは慳貪ですから、それだけで罪ですし、もし慳貪の言動があるならば上記の境界に到達していない証拠とも言えるのではないでしょうか?
さ、悟りを開かれたあなた、どうか心を開いて、上記の境界を詳細に生活実感・身体実感としてお教しえください。

それと、この境界に達するための修行法をスッタニパータの何章、何節 かで教えていただけますか?

あと、質問ですが、この時期の修行は全て出家してサンガに所属して集団行動しなくてはいけないかったんではないでしょうか?
在家はその出家者に供養することで功徳を積む。と。
もしこの認識が間違っていたならばスッタニパータに基づいて指摘してください。
なんせスッタニパータには暗いのですみません。

でも、もしそうならばあなたはどこかのサンガで出家僧として修行してきたんですか?

何年くらいの修行で上記の悟りに到達したんですか?

もし在家者ならば、どこのサンガの出家者に供養しているんですか?

この辺のことは、現代でスッタニパータの修行で悟りを開かれた方がいる。ということで大変に驚愕しておりますので、どうか慈悲を垂れまして、詳しく教えてください。
どうか伏してお願い申し上げます。