樋田様


こんにちは。
ご連絡ありがとうございます。前向きで優しいお返事を頂けて感謝申し上げます。
こちらへの返信で合っていますよね?

すみません、今回も長くなりすぎました。自分で読み返してうんざりしました。
もう少し話が進んだら短く返信できると思います。ご面倒をおかけします。


▼詳細にその疑問を教えて下さいますか?

五時八教のうち、五時について疑問があります。
※八教について話を広げるとテーマが大きくなりすぎると思い、このメールでは言及しません。

私は過去、試みに仏教学の言う経典成立史の破折を試みましたが、情けないことにそれは失敗に終わりました。自分の能力で得られた見解として、現在は「五時の教判を仏教の正統な教説として採用することは無理があるのではないか?」という結論になっています。
(私自身は大乗非仏説を主張しませんし、仏教学における経典成立史が推論の域を出ない点も概ね了承しています。)

天台の五時を敢えて記載しますが、以下の順序になります。
(※すみません。この部分はWikipediaが良くまとまっていたので、ほぼコピペです。)

???コピペ始め???
・華厳:『華厳経(大方廣仏華厳経)』
・阿含:増一、長、中、雑、小の『阿含経』、『法句経』などの『南伝大蔵経』
・方等:『大方等大集経』、『阿弥陀経』、『観無量寿経』、『大宝積経』、『大日経』、『金光明経』、『維摩経』、『勝鬘経』、『解深密経』など
・般若:『大般若経』、『金剛般若経』、『般若心経』など
・法華涅槃:『法華三部経』、『涅槃経』
???コピペ終わり???

五時八教の教説によれば、釈尊=ガウタマ・シッダールタが約50年間で概ね上記の順序で説いた、ということになっております。


(1)現代の感覚から理解しがたい

まず、現代人の理解として「釈尊が本当に五時の通りに説いた」と説明することには無理があるように感じます。たとえ「概ね」との注意がつくとしてもです。あるいは「順序ではなくて、内容で分けたのだ」としてもです。

仏教学の中では釈尊が在世時に説いた内容は概ね「経集・法句経・阿含経典(※)に含まれるであろう」という見解で一致しており、私もそう考える方が自然と考えております。現代における仏教学の主張を支持するものです。

※阿含経典の中にも古層や後の増補などが認められ、古層が重視される。

つまり、「歴史上の釈尊が説法した内容は、五時で言うところの阿含時の中の古層部分に概ね限定される」ということです。

その他の華厳・方等・般若・法華涅槃については、説いたとしても部分的であろうと考えるのが自然と思います。少なくとも、まとまった教説あるいはテーマとしてそれらが釈尊によって説かれたと理解することが困難なのです。


(2)五時が一切経を踏まえていない

仏教学で最古層の経典と判定されているスッタニパータ(経集)については、まとまった形で中国・朝鮮・日本には伝来していませんでした。そのため、天台大師と言えども仏教経典の全貌を知ることが不可能であったということになります。日本にスッタニパータが知られるようになったのは西洋学問の導入以降のことです。「江戸期以前には、一切経に含まれていない経典があった」ということです。

智様はそのような制限ある環境下で「欠けている経典もある」という中で教判を行わざるを得ませんでした。不備のある一切経に基づいた教判は現代において説得力を持たないと考えます。「五時(に限らず、中国仏教界が考察してきた種々)の教判が必要な前提条件を欠いていたのではないか?」という疑問です。

※スッタニパータについては釈尊在世の教説を知る手がかりとして、非常に重要と考えます。


(3)仏教における正統性の根拠

もちろん、釈尊が「華厳・方等・般若・法華涅槃の内容を部分的に説法した可能性がある」ということを私は否定しません。否定しない故に、大乗非仏説を主張しません。

釈尊が教説を文字に残さなかった以上、私たちは釈尊の教説を確定することができない、という制限を受けます。そのため「釈尊の教説はこうであった」と知るためには、種々の考察を経た推測によらざるを得ません。
その際「成立時期古いから釈尊の言説に近い」という類の推測は、完全ではないにしても尊重すべき観点と思います。

反対に、「成立時期が新しいから釈尊の言説に近い」という主張は成立しないと思います。その主張が成立する場合、10世紀以降にチベットで成立した時輪タントラの方が釈尊の言説により近いものとなってしまいます。当該タントラは終末論を説くような内容ですが、これを正統な仏説と主張するのは無理があるという点についてはご同意頂けるものと思います。

「時間的に離れているから釈尊の教説に近い」とは言えませんが、「時間的に近いから釈尊の教説に近い」という理屈は、一般的な感覚としても受け入れられる主張と思います。その観点を無視して議論する場合、「過去の師の言説よりも、現代の言説こそが正しい」という主張が生じ得ます。

つまり「部分的にでも経典に説かれていれば、あるいは説かれていなくても全体の印象を以て、後代の者が新たな説を生み出し、それを正統と主張する」ことが可能になるということです。これは「一般的な感覚からは導出が困難な正統性」であろうと思います。

天台智様の一念三千論も、日蓮様の文底秘沈の下種仏法も、それらに類する「一般的な感覚からは導出が困難な正統性」を主張したものと考えております。一般的な感覚から導出困難な正統性は、一般の人に対して説得力を持たないと思うのです。

私は「そういった正統性に基づく教説が誤っている」と言っているではありません。「そのような正統を主張しても良いが、現代において説得力を持たないのではないか?」と言っています。


(4)初期仏教との乖離

釈尊の教説としての正統性を主張するために、教説間の整合性を取る際の根拠が必要です。私は、仏教学者が主張するところの初期仏教をその根拠とするべきと考えます。初期仏教の内容とは、まとめれば以下のような教説です。

・苦集滅道
・諸行無常、諸法無我、一切皆苦
・縁起
・上記を正しく認識することによる解脱
・その解脱を最上のものとし、その他の何かはないという位置づけ
・解脱を実現するための修行指針(四念処、八正道、三十七道品など)
・生活指針(道徳的な事柄や、原初的な戒律)
・形而上学的な原理についての無記

これらが初期仏教あるいは釈尊在世時の教説だったと考えられていますし、私はそれを支持します。これらと矛盾あるいは乖離する教説を教義の中心に据える場合、それを釈尊の教説として正統であると主張することは困難であると考えます。
法華涅槃寺の教説は初期仏教と矛盾または大きく乖離するため、「法華涅槃時の教説を最上と位置づける五時教判には説得力がないのではないか?」と考えます。

※「華厳・方等・般若・法華涅槃のいずれかを最上とする教判」の全てに疑問を持つものですが、ここでは日蓮様あるいは富士門流の教学とその基礎となる天台教学に絞り、法華涅槃時について言及しました。

以上、特に(2)?(4)の辺りを根拠に五時の教判が説得力を持たないと思うのですが、如何でしょうか?


※問題提起の仕方として、そもそも「説得力を持つかどうか」というのは良くないのかも知れません。説得力があるかどうかは他人の主観によるためです。
個人的に「天台教学をベースとした日蓮仏法にも正理があってほしいなぁ。それで育ったんだもん。(樋田様もその点については近い考えがありそう、それが故に共有できるかもしれないなぁ)」と願うために提起したものです。
もしかしたら、「折伏相手の中には近代仏教学云々を言ってくる輩もいるぞ、そいつらにも正しく反論できなければ」という観点においては、樋田様にも有益な時間になるかもしれません。お付き合い頂ければ幸いです。

引用についてですが、あまりに長くなるため、もう少しテーマが絞られてからの方が良いと判断して割愛しています。


・このコミュニケーションについて、個人名等を伏せる形で公開することについて了承します。同時に、私も何らかの形で公開、伝達させて頂く可能性がある点についてご承知ください(現時点でそのような公開手段を持っているわけではありませんが、そのうちブログなどを開設する可能性はあります)。

・公開について、公開した場合はその公開先について、リンク等を教えて頂けるでしょうか(私も読みたいので…)。

・本件と直接関わることではないのですが、私は個人的に「将来における創価学会からの円満な脱会」を目論んでおります(「誠意を以て疑義を提出したのに除名された」という大義名分が欲しい=周囲の会員を傷つけたくない)。その際に提出する疑義について、このコミュニケーションで得られた知見を含める場合があることをご了承ください。


長くなって本当にすみません。。。

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● なかなかまとまった時間が取れない状況ですみません。

以下の貴方の見解について、まずはざっくりした所感を述べたいと思います。
(アップの都合上個人名を書くと後で編集が大変になるので「貴方」でよろしくお願いします。)

仏教の根源的なところから考察すれば現代の史料至上主義的な学問的見解は非常に偏っている、と思っています。

例えててみましょう。

今から2500年ほど前に、格闘技の奥義を極め、あらゆる格闘家と戦い無敗でとなった先達が現れた。
その先達は弟子たちにその奥義を間近で伝えた。
最初は弟子たちはなかなか修得できなかったが、師が晩年の頃、ようやく同じ境地に到達するものが大勢現れた。
師の滅後、その奥義へ至るあらゆる修行法は、厳しい鍛錬によって体得という形で伝持されていった。
その過程で、後の弟子たちに何とか分かりやすく伝えるために、自ら実践した修行や鍛錬の中で掴んだ、そのコツどころや、体得した境地なども伝え加えられながら、更に後の弟子たちへ厳しい鍛錬による体得という形で伝えられていった。
ある時期から、それが文書化され、整理されて伝持されていった。。。。。

仏教の大きな歴史の流れもこのようなものであったのではないかと推察しています。

釈尊が大いなる悟りを開いた。
生涯弟子たちにそれを体得するように教え実践させ伝えた
その最後期には弟子たちもその境界に達した。
それを滅後実践と体得という形で弟子から弟子へ伝えていった。
釈尊と同じ境界に到達した弟子たちが次の世代へその境地へ至るための修行法や鍛錬法、その境地の内容。。。などなどを自らの体験も加えながら伝えていった。
それが文書化されたのが様々な経典群

ですから、一切経の根本的な部分は釈尊在世に全て現れており、釈尊一代での化導の次第が、滅後長い年月かけて、敷衍されていった。。
釈尊50年の説時 と仮定して、それが滅後は、例えば4〜500年かけて敷衍されていった。

それは釈尊一代でも、概ね 小乗→権大乗→実大乗 と説き上げていったように
滅後の時代の流れの中で、大筋は 小乗→権大乗→実大乗 というように実践・体得されていった。

このように掴めば、天台の五時八教は大きな括りとしては全く矛盾を感じないのですがいかがですかね。

経典も私はその全てが釈尊の言説のみ。とは捉えていません。
後の弟子たちが、実践・修行して釈尊と等しい境界を体得した上で、その境地を様々な表現を用いて添加していったと思います。

仏陀=覚者 ですから、仏陀=覚者=釈尊 と一括りに表現していた可能性もあるかも知れません。
つまり、インド応誕の一個人の釈尊から、その教えを元に修行して同じ悟りに到達した人格を、釈尊と同格=釈尊 と位置付けた可能性も否定できないと考えています。

一切の経典群をただ、自分は仏道修行もせずに釈尊の悟りを体得もしていない学者が、どのように古文献を穿り返して漁っても、仏教の本質には程遠いことしか見えないと思います。

仏教とはそういうものだと思います。
つまり、実践と体得こそが仏教の真髄であって、それなくして、その文書化された奥義書やそれに付随する解説文書だけをどう漁って研究してみても、仏教の本質は全く見えてこないということです。

格闘技の修練・鍛錬をしていない者が、格闘技の先達の書いた奥義書をどう読んでみても何も分からない。
た、奥義書の書かれた日付とか言葉使いとか、ああでもないこうでもない、、、と詮議している。。という姿ですね。


今日はここで止めて、また後日各論に入っていきたいと思います。

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▼ ご返信ありがとう御座います。

ご多用の折にお相手して頂いて感謝申し上げます。
ものすごく暑いので、水分とってお互いに建康には気をつけましょうね。

以下、インラインにて返答させて頂きますが、これらについては、おそらく各論の中で議論されると思います。
この返答(★で囲った部分)については、ご対応を後回しにして頂ければと思います。
後回しにしないと、議論がシッチャカメッチャカになってしまうと思います。。。

各論についてのお話をお待ちしております。

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>なかなかまとまった時間が取れない状況ですみません。

とんでもないことです。私も同様ですし、ご返信頂けるだけでも嬉しいことです。
意外に大きなテーマになりそうな予感がしており、私自身も自分の中の情報を整理しています。
お互い、時間がある時にじっくり思考し、気づき、時間のある時にメールするのが良いと思います。


>仏教の根源的なところから考察すれば現代の史料至上主義的な学問的見解は非常に偏っている、と思っています。
★この「仏教の根源的なところ」の理解が互いに大幅に異なるのだと思います。★

>例えててみましょう。
>今から2500年ほど前に、格闘技の奥義を極め、あらゆる格闘家と戦い無敗でとなった先達が現れた。…ある時期から、それが文書化され、整理されて伝持されていった。。。。。
>仏教の大きな歴史の流れもこのようなものであったのではないかと推察しています。

比喩として分かりやすいのですが、事実を反映した比喩とは認識できません。
歴史上の釈尊が特別な奥義のようなものをその教説の中心に立てたとは考えられないからです。
釈尊自身が「自らの教説が最上であり、他は劣ったものである」という主張したとは理解していません。少なくとも、真理に関わる議論をある種の勝負のように見立てていたとは思えないからです。


>釈尊が大いなる悟りを開いた。
>生涯弟子たちにそれを体得するように教え実践させ伝えた
★ここは私も同様の理解です。★

>その最後期には弟子たちもその境界に達した。

この点については異論があります。
おそらく各論の中で話が出ると思いますが、必ずしも最後期ということにはならないと考えています。
釈尊の説いた実践の内容自体は、現代の日本語でA4数枚に収まるような内容と理解しています。
実践を成就するのに時間のかかった人もいるでしょうが、実践内容を聞いてかなり早い段階(数日以内)で釈尊の説く境地に達した弟子も少なくなかったと考えます。


>それを滅後実践と体得という形で弟子から弟子へ伝えていった。
>釈尊と同じ境界に到達した弟子たちが次の世代へその境地へ至るための修行法や鍛錬法、その境地の内容。。。などなどを自らの体験も加えながら伝えていった。
>それが文書化されたのが様々な経典群
>ですから、一切経の根本的な部分は釈尊在世に全て現れており、釈尊一代での化導の次第が、滅後長い年月かけて、敷衍されていった。。
>釈尊50年の説時 と仮定して、それが滅後は、例えば4〜500年かけて敷衍されていった。
★ここは私も同様の理解です。★

>それは釈尊一代でも、概ね 小乗→権大乗→実大乗 と説き上げていったように
>滅後の時代の流れの中で、大筋は 小乗→権大乗→実大乗 というように実践・体得されていった。
>このように掴めば、天台の五時八教は大きな括りとしては全く矛盾を感じないのですがいかがですかね。

ここは私の理解とかなり異なります。かなりざっくりした言い方ですが、「釈尊が説いた教説のほとんど(9割位)は小乗的な内容であり、権大乗・実大乗の教えは残りの1割程度であったのではないか(分量および重要度の位置づけともに)」という理解をしております。
※9割、1割はあくまでも例えとしての表現です。実際にそういう分析をした訳ではありません。


>経典も私はその全てが釈尊の言説のみ。とは捉えていません。
>後の弟子たちが、実践・修行して釈尊と等しい境界を体得した上で、その境地を様々な表現を用いて添加していったと思います。
★ここは同意します。★

>仏陀=覚者 ですから、仏陀=覚者=釈尊 と一括りに表現していた可能性もあるかも知れません。
>つまり、インド応誕の一個人の釈尊から、その教えを元に修行して同じ悟りに到達した人格を、釈尊と同格=釈尊 と位置付けた可能性も否定できないと考えています。

この点は大いにあり得ると思います。「仏陀=覚者」は複数存在して、釈尊はその中の一人であろうと思います。

 ・釈尊はインド哲学が規定していた覚者たちの中の一人である(過去・未来において釈尊以外の覚者が存在し得る。ただし、釈尊以外の覚者は歴史上広く認識されなかった。)

 ・釈尊は、悟りの内容を明に解き明かし、その内容がが地球の歴史に残った最初の人である(それ故に特別視され得るだけの道理があると思います。例えば、「最初の人がジャイナ教の開祖である可能性」もあるのですが、本コミュニケーションが仏教の議論であるという点において、釈尊が最初の人であると理解します。)

と認識しています。その点は多くの仏教徒が認めるところであり、経典にもそれを裏付ける記述があると理解しています。


>一切の経典群をただ、自分は仏道修行もせずに釈尊の悟りを体得もしていない学者が、どのように古文献を穿り返して漁っても、仏教の本質には程遠いことしか見えないと思います。
★仏教学者が仏道修行をしていない、という意味であれば理解しかねます。★

>仏教とはそういうものだと思います。
>つまり、実践と体得こそが仏教の真髄であって、それなくして、その文書化された奥義書やそれに付随する解説文書だけをどう漁って研究してみても、仏教の本質は全く見えてこないということです。
★この点は同意します。★

>格闘技の修練・鍛錬をしていない者が、格闘技の先達の書いた奥義書をどう読んでみても何も分からない。
>た、奥義書の書かれた日付とか言葉使いとか、ああでもないこうでもない、、、と詮議している。。という姿ですね。

以下の理由から、この説明を理解しかねます。
・私は仏教学者も仏道修行を実践していると考えるため
・上述の通り、釈尊の中心的な教説においては秘密の奥義のようなものがなかったと考えるため


>今日はここで止めて、また後日各論に入っていきたいと思います。
★ありがとう御座います。宜しくお願い申し上げます。★