お世話になっております。

先程(8月2日の22時頃)にお電話させて頂きました、○○区のHという者です。
夜分にご対応頂き、誠にありがとう御座いました。

何年も前から動画等でお声を拝聴していた者として、お声を聞けたことが単純に嬉しかったです。
ミーハーな感想と思われるかも知れませんが、改めて感謝申し上げます。

本メールはGmailから送信しているのですが、HTMLメールになっていたら申し訳ありません。
何せ○○区の人間ですから、無知・乱文・誤字脱字などがあっても、どうかご容赦ください。
私の個人的な嗜好で、敬称については原則として「様」で統一します。公的と思われる称号を使う場合はその限りではありません。万が一、呼び捨てなどがあっても貶めるような意図ではなくて誤字脱字の類です。


さて、私の疑問は「内外相対・大小相対・権実相対について、原始仏典記載の教説と整合性を取ることが困難ではないか?」といったものです。

私は以下のような理解・意見を持っています。

・「日蓮正宗は日蓮様の教えを奉じる教団として唯一の正統である」との主張について

  …証明可能(な文献が残っているだろう)と考えており、この主張を理解します。
   ただし、勉強不足で積極的な肯定をするには至っておりません(特に唯一という点)。

・「創価学会は日蓮様の教えを奉じる教団として正統ではない」との主張について

  …「組織・教理的に法統が切れた」という意味において、この主張を肯定します。
   ただし、切れているだけに仏教団体を名乗らない限りは何をしても良いと思っています。

・「日蓮正宗以外の日蓮宗系教団は正統ではない」との主張について

  …勉強不足のため、肯定も否定もできません。

・★「法華経の教説が仏教の正統である」との主張について★

  …否定はしませんが、その場合は他の経典も正統であると尊重せねばならないと思います。

・★「日蓮様の教説が仏教の正統である」との主張について★

  …本仏を規定した場合は無我説と矛盾すると思われ、肯定できません。

・「日蓮正宗は仏教の正統である」との主張について

  …前記を理由として肯定できません。

・「日蓮様の教説に従って信行学に励むことにより、功徳が生ずる」との主張について

  …これが現実にあり得ることは否定しません(私個人の経験としては肯定します)。

・「功徳を得られるのは日蓮正宗のみだ」との主張について

  …個々人の経験としてそう判断し得ることは肯定しますが、客観的な認識が困難と思っています。

ここで言う「正統」とは、「先代、先々代…と辿り、過去に遡って教説に矛盾がない」というような意味です。

基本的には「現代仏教学の成果(特に原始仏典の類)を踏まえると、五時八教の教判が現代では通用せず、説得力を持たないのではないか?」という疑問です。

もちろん「日蓮正宗は仏教の正統ではない!」という感情的なことを言いたいのではありません。
「正統と言うために、どのような論理を構築すれば良いのかな?私は不勉強のせいで自力で構築できなかったです。何か良い知恵あれば教えてくれませんか?」という我儘を言いたいのです。

まだまだ不勉強の身ではありますが、主に上記「★」の論点についてコミュニケーションできたら幸いです。
別途文章を作ったのですが、長くなりすぎましたので、まずはテーマの概要をお伝えしたくご連絡させて頂きました。

私自身が「人に迷惑をかけない限りは信じたい人が信じたいものを信じれば良いし、実践すれば良い」という程度の姿勢で生きています。
そのため、本当に真摯に信仰と向き合っている(中でも厳格な富士門流の)豊田様と、このようなコミュニケーションを図ろうとすることはおこがましいのかも知れません。

文証として中心になるのは、中村元氏による原始仏典、法華経については植木雅俊氏の梵文和訳の法華経などであろうかと思います。

そもそも御書であまり中心議題とされていない範囲の事柄になり、法華経についても文上の読み方が中心になる気がしています(御書が書かれた時点でいわゆる小乗仏典が日本では軽視されていたが、現代に至って重要性が認識されるようになってきました。無視するべきではないと考えております)。

まずは文上の読み方で正当性を確保できなければ、その先の本迹相対・種脱相対の議論に進まず、以降の功徳論や現証などについても議論が難しいと思っています。また、現代ではそこを踏まえて議論しないと納得されないように感じています。

この手のテーマは「それを言ったら日本仏教全体を否定することになるではないか」という結論に至る可能性もあるかと思いますが、そこまで突き詰めても正しいものが正しいのだと思います。

※現時点で私は「どの宗教宗派もそれなりに正しいから、本人が悩んでいない以上は排撃すべきではない」という認識です。その根拠は法華経になりますが、それは仏法と言うよりも凡夫としての希望的観測に近いものかもしれません。

私のような阿呆でもそういうことが分かるように誰かがまとめてくれていれば良いのですが、そのような書籍等が見当たらず、時折自分で勉強している次第であります。時折ですが。

もし、「まあ付き合ってやるか」「悪くないテーマだな」以上のポジティブなお気持ちを持って下さるなら、ご都合よろしい際にお付き合い頂ければ幸いです。

長くなりましたが、読んでくださってありがとうございます。

以上、宜しくお願い申し上げます。

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メールありがとうございました。
 
大変に興味深いテーマです。
 
是非、私も勉強させていただきたいと思います。
内容を拝見いたしまして、一番最初に論じなければならないテーマは
 
▼「基本的には「現代仏教学の成果(特に原始仏典の類)を踏まえると、五時八教の教判が現代では通用せず、説得力を持たないのではないか?」という疑問です。」
 
これかと思います。
 
日蓮大聖人の仏法は天台教学が基礎となっている訳ですから、▼「」この問題が解決しなければ次に進めないと思います。
 
では、この点に関して、詳細にその疑問を教えて下さいますか?
 
あと、今回のテーマは現代の仏教を検証するにおいて非常に重要かつ有意義なテーマだと思います。
なので、個人名や地名などは伏せた上で、HP上にアップしながら進めていくという形をとりたいのですが、ご了承いただきたいと思います。
このテーマは現代人が仏教を求めるにあたって、大変価値ある研究テーマであると思います。
 
どうかよろしくお願いします。
 
あと、敬称の表記漏れなど全然気にしてませんのでご安心ください。
ちなみに私は 樋田 でした。(^・^)
 
では、まず、最初の論題の詳細な内容をよろしくお願いします。<m(__)m>
 
そうそう、以後は今回送付するアドレスで、よろしくお願いします。
 
 
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