■只(ただ)須(すべから)く汝仏にならんと思はゞ、慢のはたほこ(幢)をたをし、忿(いか)りの杖をすてゝ偏(ひとえ)に一乗に帰すべし。

名聞名利は今生(こんじょう)のかざり、我慢偏執(がまんへんしゅう)は後生のほだ(紲)しなり。嗚呼(ああ)、恥ずべし恥ずべし、恐るべし恐るべし。

(持妙法華問答抄 弘長三年 四二歳 296)

相手に対しての怒りに満ち溢れ、負けたくないという慢心、勝他の念、天高く、恥をかきたくない、いい格好したいという名聞名利をその体とし、

我を慢ずる腐臭に満ち、正しい人間性から大きく逸脱した偏屈な執情、岩のごとし。。

こんなんでは成仏は絶対出来ないと大聖人様はお叱りですぞ。

やはり邪師・悪師の浅井昭衛などに心酔してニセ本尊などを掴まされて拝んでいるから、この御文でお叱りの方向へ命が自然と歪んでいってしまうものなのかね。

よくよく御自覚あれ。

君らの醜悪な命の傾向性は、ただ樋田の主観だけではなく、これを読んでいる一般の有識具眼者の方々も大きく首肯できることだと思いますよ。

「知らぬは本人ばかりなり」ってか?

口臭とか、酷い体臭と同じですね。

自分では気がつかないもんですな。