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【公開詰問状 及び 公開対論申込み】

 

                  顕正会会長 浅井昭衛殿

 

                  法華講員 樋田昌志

 

公開詰問状

 

1、塔婆供養廃止について

 

貴殿の塔婆供養を廃止する旨の発言は顕正新聞平成16年3月5日号に以下のごとく掲載された。

 

▼「これまでは、希望に応じて塔婆の申し込みを受け付けておりました。しかし今後は、顕正会においては塔婆は立てない、ということにしたいと思っております。なぜかというと、塔婆は仏法の本義から言って要らないのです。」

 

日蓮大聖人は御書にかく仰せである。

 

■ 我等衆生死する時塔婆を立て開眼供養するは、死の成仏にして草木成仏なり。(草木成仏口決 文永九年二月二〇日 五一歳 522)

 

 この草木成仏口決は、人本尊開顕の重書中の重書である開目抄の直前の御著作と系年され、その題名の如く、一念三千の深い法理から、非情成仏・草木成仏の深義の法門を示された重要御書である。

 

 凡そ日蓮大聖人の仏法の究極的目標は、外には広宣流布、内には即身成仏であり、その成仏の内、有情の成仏は「妙法蓮華経」の「妙法」にあり、非情の成仏は「蓮華」にあり、その有情・非情の成仏の大事を御説き下さる中で、非情の成仏の現実的な事実上の例証として、大聖人御自らが為されている塔婆供養を挙げられる段の御文である。

 

 しかも、この非情成仏・草木成仏の原理は、元々草木であるところの曼荼羅御本尊の御建立・開眼の深義にも通じる大事の御法門であり、その証拠に当抄の後半に、

 

 ■「一念三千の法門をふ(振)りすす(濯)ぎたるは大曼荼羅なり。当世の習ひそこなひの学者ゆめにもしらざる法門なり。」

 

とあり、塔婆供養=非情成仏=草木成仏は、曼荼羅御本尊開眼の義と通底している重大事の御法門なのである。

 この重大事の御法門を軽々しく否定する貴殿こそまさに

■「当世の習ひそこなひの学者」ではないか。

 

 更にその後に、

 

■「草木成仏は死人の成仏なり。此等の法門は知る人すくなきなり。所詮妙法蓮華をしらざる故に迷ふところの法門なり。敢(あ)へて忘失する事なかれ。」

 

とも御指南されており、貴殿は、この「大事の法門を知らずに迷っている大虚け者。」と大聖人様に厳しく叱られる者でははないか。

 しかも大聖人が■敢(あ)へて忘失する事なかれ。」努々忘れてはならぬぞよ。と仰せであるに、恥ずかしいことに貴殿はすっかり忘れ切って、塔婆不要の痴論を振りかざしているのである。

 

 また「中興入道御消息」には

■去(みまか)りぬる幼子のむすめ(娘)御前の十三年に、丈六のそとば(卒塔婆)をたてゝ、其の面(おもて)に南無妙法蓮華経の七字を顕はしてをはしませば、北風吹けば南海のいろくづ(魚族)、其の風にあたりて大海の苦をはな(離)れ、東風(こち)きたれば西山の鳥鹿(ちょうろく)、其の風を身にふ(触)れて畜生道をまぬ(免)かれて都率(とそつ)の内院に生まれん。況んやかのそとば(卒塔婆)に随喜をなし、手をふ(触)れ眼に見まいらせ候人類をや。過去の父母も彼のそとばの功徳によりて、天の日月の如く浄土をてら(照)し、孝養の人並びに妻子は現世には寿(いのち)を百二十年持ちて、後生には父母とともに霊山浄土にまいり給はん事、水す(澄)めば月うつ(映)り、つゞみ(鼓)をう(打)てばひゞ(響)きのあるがごとしとをぼしめし候へ等云云。此より後々の御そとば(卒塔婆)にも法華経の題目を顕はし給へ。(中興入道御消息 弘安二年一一月三〇日 五八歳 1434

 

と塔婆供養の功徳は、故人のみならずその塔婆に縁するあらゆる「非情界の衆生(※修正→ 有情・非情)の成仏の因縁と成り、また過去の先祖を成仏せしめ、更にはその願主とその眷属も今生で勝妙の大果報を得、後生には成仏の大功徳を得ること間違いなし。と仰せである。

 

これほど尊く広大な塔婆供養の功徳を大聖人がお示しであるにも拘わらず

▼「塔婆は仏法の本義から言って要らない」と貴殿が言い放つその根拠を示されよ。

 

 これら非情成仏・草木成仏の深儀である「塔婆供養」の大事は宗祖日蓮大聖人以来の日蓮正宗の重要な教義であり、日蓮大聖人様御自ら為されたその化儀・化法はそのまま富士大石寺門流において代々行われてきたのである。

 

 顕正会としても、平成16年以前は妙信講時代も含めて、故人の成仏の為に塔婆供養を会員に為さしめてきたのである。(もちろん三宝誹謗の大謗法団体である顕正会がいくら塔婆供養しても当然堕地獄必定である訳だが)

 貴殿の言▼「塔婆は仏法の本義から言って要らない」のならば、それではなぜ▼「要らない」ことを会員に態々させてきたのか、その理由を明確に示せ。それはただ顕正会の金儲けのためだったのか。

 

 

2、戒名について

 

 次に戒名について貴殿は以下の如く発言している。

▼「御在世においては戒名などない。熱原の神四郎殿を見よ。顕正会においては戒名などは要らない。御在世に立ち還って、俗名のままでいきたい。いまこのように決めるのは、顕正会は広宣流布の団体だからである」(『顕正新聞』平成1635日号)

 

 しかし、昭和594月に死亡した貴殿の父・甚兵衛(元妙信講講頭)には、

「直達院護法甚道居士」(『冨士』昭和596月号)

との「戒名」を戴いている。

要らないはずの「戒名」を何故貰ったのか、その教義的理由を明確に説明せよ。

 

 総本山第9世日有上人「化儀抄」に御指南

■「仏事追善の引導の時の事、私の心中有るべからず、経を読みて此の経の功用に依って、当亡者の戒名を以って無始の罪障を滅して成仏得道疑いなし、乃至法界平等利益」

 

■「当亡者の戒名を以って無始の罪障を滅して成仏得道疑いなし」とあるがごとく、戒名の重要性をお示しである。この御指南からすれば戒名を否定する貴殿ら顕正会員は無始以来の罪障消滅もできず、成仏得道は思いの外、三悪道に堕すこと必定となるが、教義的に反論せよ。

 

3、葬儀・回忌法要について

 

 貴殿ら顕正会では正統な日蓮正宗の僧侶を介さずに葬儀を執行している。

 

■法華を悟れる智者、死骨を供養せば生身即法身なり。是を即身といふ。さりぬる魂を取り返して死骨に入れて、彼の魂を変じて仏意と成す。成仏是なり。即身の二字は色法、成仏の二字は心法、死人の色心を変じて無始の妙境妙智と成す。是則ち即身成仏なり。(木絵二像開眼の事 文永九年 五一歳 638)

 

 大聖人様の御指南では、葬儀執行は「法華を悟れる智者」に限ることになる。これは別しては日蓮大聖人御一人であり、その死骨成仏の秘儀執行資格は、「血脈の次第 日蓮日興」という御立場を伝持される日興上人を随一とした御歴代御法主上人である。 

 そして総じてこれを言えば、その御法主上人から免許をいただいた正統なる日蓮正宗の御僧侶。ということだが、貴殿ら顕正会では誰がこの■「法華を悟れる智者」と言えるのか。教学的に明証せよ。

 

同抄に■「人死すれば魂去り、其の身に鬼神入れ替はりて子孫を亡ず。」

と大聖人は仰せである。

 

貴殿の後継者と目されていた長男、克衛氏が、突然顕正会の壇上から消えた。今、どこで何をしているのか?

 これは貴殿等の指導に依り顕正会員らが正統な葬儀・回忌法要を行ってこなかった結果、貴殿の父浅井甚兵衛氏をはじめ、亡くなった顕正会員の死骨に鬼神が入り込んで、■「子孫を亡ず」つまり、貴殿等の子孫が滅びる、という『現証』の一端ではないのか。教義的に反論してみせよ。

 

 以上の詰問について、公開対論を申し込む。もし貴殿が公開対論が実力的に不可能で回避したいのならば、文書による反論も可。

返答期限を平成26年7月16日とする。

 

追記 ■法華経の敵を見ながら置いてせめずんば、師檀ともに無間地獄は疑ひなかるべし。(曽谷殿御返事 建治二年八月二日 五五歳 1040

 

 貴殿と顕正会を「誹謗」する当方は貴殿にとっては間違いなく「法華経の敵」であろう。その当方からの公開詰問状を「見ながら置いて」反論しなければ、貴殿と顕正会員全員は無間地獄間違いなしとなる。

 貴殿がもし仮にも「大聖人の弟子」と自負するのであれば、本部幹部会などで会員の前で当方へ反論しない(できない)旨を虚勢を張って言い訳、言い逃れなど姑息なことをしていないで、堂々と公開対論もしくは文書による反論を企てるべきであろう。

 当方は楽しみに一日千秋の想いで貴殿の反論をお待ちしている。  以上

 

平成26年6月9日

 

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