浅井昭衛発言の主意

▼ 正本堂が御遺命破壊の殿堂であることは、すでに昭和40年2月16日で明白になった
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証拠文献

▼ 国立戒壇が突如として否定された。しかもそれは総本山の日達上人の発言によってである。
時は昭和四十年二月十六日、正本堂建設委員会において
同上人は、正本堂が御遺命の戒壇に当る旨の説法をされたのである。
正本堂が、大聖人御遺命の「本門戒壇」に当るとすれば、その外に将来国立戒壇が建てられるということはなくなる。
まさに
この説法は、国立戒壇の事実上の否定を目的としたものであった。(冨士昭和五二年八月号
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さらに昭和44年までに、今の顕正会が「御遺命違背」として常に追及してくる以下の発言が宗門から多数されている。
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藤本栄道宗務院庶務部長(当時)云く
 「私共は子供の頃から広宣流布とか戒壇建立とかの言葉を常に耳にし、口にしながらも、何か遠い未来の夢の如く考えておったものでありますが、それが私共の時代に、先づもって戒壇建立の実現を見ることができるということは、本当に身の福運を感ぜずには居られません」 (大日蓮42・11月号

椎名法英宗務支院長(当時)云く
 「『富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ』との、宗祖日蓮大聖人の御遺命がいま正に実現されるのである。何たる歓喜、何たる法悦であろうか」 (同前)

菅野慈雲宗全議員(当時)云く
 「正本堂建立は即ち事の戒壇であり、広宣流布を意味するものであります。この偉業こそ、宗門有史以来の念願であり、大聖人の御遺命であり、二祖日興上人より代々の御法主上人の御祈願せられて来た重大なる念願であります」 (同前)
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これらの発言に対して、後に浅井昭衛はこう論評している。
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▼なんたる無道心の諂いであろうか。高僧にしてこの有様である。七百万学会員はもとより池田の言葉を信じ切っている。かくて日蓮正宗において「国立戒壇」の四文字は禁句となり、正本堂は御遺命の戒壇となり了(おわ)ったのである。
 これまさしく大事の御遺命の破壊である。(御遺命守護の戦い)
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