謗国(ぼうこく)と申すは、謗法の者其の国に住すれば其の一国皆無間大城になるなり。
大海へは一切の水集まり、其の国は一切の禍(わざわい)集まる。
譬(たと)へば山に草木の滋(しげ)きが如し。
三災(※@)月々に重(かさ)なり、七難(※@)日々に来たる。
飢渇(けかち)発(お)これば其の国餓鬼道(がきどう)と変じ、疫病(やくびょう)重(かさ)なれば其の国地獄道となる。
軍(いくさ)起これば其の国修羅道(しゅらどう)と変ず。
父母・兄弟・姉妹を簡(えら)ばず、妻とし、夫と憑(たの)めば其の国畜生道となる。
死して三悪道に堕つるにはあらず。現身に其の国四悪道と変ずるなり。
此を謗国(ぼうこく)と申す。
例せば大荘厳仏(だいしょうごんぶつ(※A))の末法、師子音王仏(ししおんのうぶつ※B)の濁世(じょくせ)の人々の如し。
又報恩経に説かれて候が如きんば、過去せる父母・兄弟・姉妹一切の人死せるを食し、又生きたるを食す。
今日本国亦復(またまた)是くの如し。
真言師・禅宗・持斎(じさい)等人を食する者国中に充満せり。
是偏(ひとえ)に真言の邪法より事起これり。
竜象房が人を食らひしは万が一つ顕はれたるなり。
彼に習ひて人の肉を或は猪鹿に交へ、或は魚鳥に切り雑(まじ)へ、或はたゝき加へ、或はすし(鮨)として売る。
食する者数を知らず。
皆天に捨てられ、守護の善神に放されたるが故なり。
結句は此の国他国より責(せ)められ、自国どし(同志)打ちして、此の国変じて無間地獄(むけんじごく)と成るべし。
日蓮此の大なる失(とが)を兼ねて見し故に、与同罪(よどうざい)の失を脱れんが為、仏の呵責(かしゃく)を思ふ故に、知恩報恩の為国の恩を報ぜんと思ひて、国主並びに一切衆生に告げ知らしめしなり。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

【訳注】

三災 七難

「三災」には、世界の破壊期に起こる大の三災と、世界の存続期に起きて人々を滅ぼす小の三災があります。
『倶く舎論しゃろん』によると、大の三災に火災・風災・水災があり、小の三災に穀貴こっき・兵ひょう革かく・疫やく病びょうがあります。
穀貴とは、五穀ごこくの価あたいが異常に高騰こうとうする物価騰貴とうきのことであり、
兵革は戦争、
疫病は伝染病や流行病などをいいます。

 「七難」とは、正法を誹謗することによって起こる七種の難で、経典によってその内容に多少の差異があります。
ここでは薬師経・仁王経・法華経の七難を挙げます。
【薬師経の七難】
 @人衆疾疫にんじゅしつえき難(伝染病が流行り、多くの人が死ぬ)
 A他国たこく侵逼しんぴつ難(外国から侵略され、脅かされる)
 B自じ界叛かいほん逆ぎゃく難(内部分裂や同士討ち)
 C星せい宿しゅく変へん怪げ難(天体の運行に異変が起こる)
 D日月薄にちがつはく蝕しょく難(日食や月食)
 E非時ひじ風ふう雨う難(季節はずれの暴風や強雨)
 F過時不雨かじふう難(雨期に雨が降らない天候不順)

 「三災」には、世界の破壊期に起こる大の三災と、世界の存続期に起きて人々を滅ぼす小の三災があります。『倶く舎論しゃろん』によると、大の三災に火災・風災・水災があり、小の三災に穀貴こっき・兵ひょう革かく・疫やく病びょうがあります。穀貴とは、五穀ごこくの価あたいが異常に高騰こうとうする物価騰貴とうきのことであり、兵革は戦争、疫病は伝染病や流行病などをいいます。
 「七難」とは、正法を誹謗することによって起こる七種の難で、経典によってその内容に多少の差異があります。ここでは薬師経・仁王経・法華経の七難を挙げます。

【薬師経の七難】
 @人衆疾疫にんじゅしつえき難(伝染病が流行り、多くの人が死ぬ)
 A他国たこく侵逼しんぴつ難(外国から侵略され、脅かされる)
 B自じ界叛かいほん逆ぎゃく難(内部分裂や同士討ち)
 C星せい宿しゅく変へん怪げ難(天体の運行に異変が起こる)
 D日月薄にちがつはく蝕しょく難(日食や月食)
 E非時ひじ風ふう雨う難(季節はずれの暴風や強雨)
 F過時不雨かじふう難(雨期に雨が降らない天候不順)

【仁王経の七難】
 @日月失にちがつしつ度ど難
 A衆星変改しゅせいへんかい難
 B諸しょ火か梵ぼん焼しょう難(大火によって多くの物が消失される)
 C時じ節反せつはん逆ぎゃく難
 D大風数たいふうすう起き難
 E天てん地ち亢陽こうよう難
 F四し方賊来ほうぞくらい難

【法華経の七難】
 @火難
 A水難
 B羅刹らせつ難(悪鬼による難)
 C刀とう杖じょう難
 D鬼難
 E枷鎖かさ難(牢獄に囚われる難)
 F怨賊おんぞく難
--------------------------------------------
大荘厳仏

過去無量無辺不可思議阿僧祇劫の仏。
仏蔵経巻中 仏が涅槃に入った後、三か月で大弟子衆が涅槃に。
法を伝える者がいなかった。そのため滅後に出家した者達は沙門の法が安穏快楽であると知って出家したが、仏の法が甚深であることを知らず、滅後100年で5部に分裂してしまった。その中で普事菩薩だけは仏の空義を知っていたが、勢力が小さく、他派から排斥された。
残りの四比丘の衆は邪見に堕ちていたが、勢力が強かった。
この四比丘の弟子たちは世世に地獄の業果を得たという。

--------------------------------------------

師子音王仏

諸法無行経 過去無量無辺不可思議阿僧祇劫の仏 末法 喜根比丘 諸法の実相を説く。←勝意比丘が誹謗 喜根比丘 法を貫き成仏 勝意は地獄へ。


■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

設(たと)ひ謗身(ぼうしん)は脱ると云ふとも、謗家(ぼうけ)謗国(ぼうこく)の失(とが)如何(いかん)せん。
謗家の失を脱れんと思はゞ、父母兄弟等に此の事を語り申せ。
或は悪(にく)まるゝか、或は信ぜさせまいらするか。

諸国の失を脱れんと思はゞ、国主を諌暁(かんぎょう)し奉りて死罪か流罪かに行なはらるべきなり。
「我不愛身命(がふあいしんみょう)、但惜無上道(たんじゃくむじょうどう)」と説かれ「身軽法重(しんきょうほうじゅう)、死身弘法(ししんぐほう)」と釈せられしは是なり。
過去遠々劫(おんのんごう)より今に仏に成らざりける事は、加様の事に恐れて云ひ出ださゞりける故なり。
未来も亦復(またまた)是くの如くなるべし。
今日蓮が身に当たりてつみ知られて候。
設(たと)ひ此の事を知る弟子等の中にも、当世の責めのおそろしさと申し、露の身の消え難きに依りて、或は落ち、或は心計(ばか)りは信じ、或はとかう(左右)す。
(※ 意訳 露の身であるにも関わらず、一生は長いと思い込んでいて、仏道修行に励まずに無駄な時を過ごしているうちにあっという間に死を迎え、あるいは、心だけは信じているようでも、実際の行動がない。或いは、少しばかり折伏に動き出してみたら、色々、悪口・誹謗中傷とか迫害があり、あるいは自身の罪障が噴出したりして、右往左往して強盛な折伏行を絶やしてしまう)
御経の文に「難信難解(なんしんなんげ)」と説かれて候が身に当たって貴く覚え候ぞ。
謗ずる人は大地微塵(みじん)の如し。
信ずる人は爪上(そうじょう)の土の如し。
謗ずる人は大海、進む人は一(てい)なり。