以下は、間違いなく創価学会員と思しき人物・HN「あどべ」君が、現実に存在する「池田大作・破廉恥行状記」という書物の存在を、不勉強故の誤認識から軽率にも否定したが、その後法華講側から完全に該本の存在証明が為されたことに対して、じつに見苦しく、無慙極まりない狼狽振りを晒した、その全記録である。

創価学会員と思しきこの「あどべ」と名乗る人物の卑劣・卑怯・奸智・狡猾・・・・な、じつに低劣な醜態をとくと御覧いただき、邪教の害毒によっていかに人格が破戒され、虚栄心が異常に強く、しかも自己本位で、是非の道理を捻じ曲げ、我意を押し通す危険人物と成り下がるか、その邪教・謗法の恐ろしさを再確認していただきたいものである。

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投稿日時:2006/01/26(Thu) 08:46

おなまえ:信濃町短信
タイトル:樋田様に質問

《三流男の樋田君よ 投稿者:沖浦克治「貴方のように、他人の事故を喜んでいるような三流人には、良い人生はおくれませんよ。」》と言われていますが、実名で人格攻撃を行い、その犯罪に対し告訴しようにも発行者さえ分からない『フェイク』『大石寺短信』等々を平気で掲示板に掲載し、それを容認し、あろうことか活用さえする、こんな彼らは“何流の方々”でしょうか。教えてくださいませ。

――――――――――――――――――――――

投稿日時:2006/01/26(Thu) 11:30

おなまえ:あどべ
ホスト名:220.23.205.76
ブラウザ:Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)
タイトル:もっと突っ込んだ内容が出ていますが、

信濃町短信さんへ

発行者が明確でさらに個人に対する記述がリアルに載っている同盟通信や松岡雄茂さんの出版物に対して、宗門サイドが犯罪だと訴えたという話を聞いたことがありませんが。

発行者が不明だから訴えられないのではなく、その内容が事実だから訴えられないのでしょう。本気の訴訟ならば、発行者を特定することなどできるでしょう。

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↑に対して。当方↓
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《『池田大作の素顔』221頁》 投稿者:管理人(樋田昌志) 投稿日:2006/02/14(Tue) 16:16 No.1688

●ほう〜〜〜。では以下の文は「池田大作破廉恥行状記」日新報道 に掲載されているほんの一部であるが、この「出版物に対して、創価学会サイドが犯罪だと訴えたという話を聞いたことがありませんが。
>
> 発行者が不明だから訴えられないのではなく、その内容が事実だから訴えられないのでしょう。」ということになるわけだ。呵々
では、「内容が事実」なのだから、創価学会・法華講双方とも、よくよく味わって読んでみましょうか。

7.温泉つき熱海研修所の女王・OSの場合

 63年5月、創価学会は大々的な人事刷新を行ない、いっぺんに副会長が25人も新たに誕生した。この役員人事にちょっとした異変が起こった。従来、副会長は、会社でいえば取締役に当たる「学会総務」の中から、功労や序列によって任命されてきた。ところが今回、一般の幹部から総務に昇格したその日に副会長になった男がいた。OM新副会長である。事情通の間では、「ハハア、また池田の病気が出たな」と話題になった。Oには、今回、副会長になるほどのキャリアも力量もない。その見方は衆目の一致するところであった。それでは、なぜ、学会関係者も驚く「前代未聞の二階級特進」となったのか。O夫人は、学会内では「熱海研修所の女王」といわれた、旧姓・TSさんである。池田大作のお気に入りとして、「月刊ペン」裁判などでも名前の出た女性だ。池田好みの容姿で、池田に見染められて、両親ぐるみ熱海研修所(後に東海研修道場と改称)の管理人として召しかかえられた。そうしておいて、熱海研修所の岩風呂つきの豪華な専用施設に、池田は入りびたりになった。
 この「女王」はアッケラカンとしたところがあって、同僚だった女子部の幹部に、池田との親しい関係を話したり、池田から贈られた高価な衣類や装身具をみせびらかしたりしたので、噂が次第に広まっていってしまったのである。やがて「創価学会会長の浮気」スクープを狙った週刊誌記者が熱海研修所のそばに張り込んだり、カメラマンが近くのクリーニング店の屋上に望遠カメラをすえつけるようになつた。そこで池田は、大蔵商事時代からの側近で、ずっと私設秘書的な仕事をやらせていたNHに、対策を命じた。Nは、聖教新聞記者だったOMとS子さんを結婚させて二人を新任地の栃木県へ引っ越しさせることにした。
ところが池田は、人妻の身となったS子さんに相変わらず御執心で、ほとぼりがさめると、彼女を熱海に呼び戻したのである。これには中に入ったNHも周囲にボヤいた。「せっかくうまいこと処理したのに、また呼び戻して同じことをされたんでは、なんのために苦労したのかわからない。Oも可哀想ですよ。」彼女は、熱海の広大な「温泉付き池田別荘」ともいえる研修所で、普段は、職員を従えてクジャクのように振る舞っていた。池田がきた時は、もっぱら彼女が身の回りを世話するが、それだけが仕事で、あとは何もすることがなかったからである。もっとも、たまに池田から、箱根の専用施設に呼ばれることがあった。夜遅く、運転手をつとめる職員を呼び出して、車中で浮き浮きとはしやいでいた。これには職員も苦がり切っていたという。(中略)
 昭和56年から始まった「月刊ペン」差し戻し裁判でも、彼女のことは法廷に持ち出され、また週刊誌等でも取り上げられた。それから6年たち、隈部大蔵氏も死亡して裁判は立ち消えとなり、ほとぼりもさめたと思ったのだろう。池田は63年初めから「勝った、勝った」と騒ぎだし、O新副会長の大抜擢など、当時、苦しい思いをさせた者への論功行賞をやった。
 この男の頭には、組織を守ることより、自分の地位を固め、権力を思うままにふるえることの方が大きかった。だから池田は、私の自尊心をへし折ろうとし、プライドを捨てた部下が何でもいうことを聞くかどうか、踏み絵を繰り返すのである。
 女房でも差し出すか、それこそ逆立ちでも、三遍回ってワンと吠える犬の真似でもやって見せるような部下しか、重用しない。要するに自分の下につく者は、人間として最低のプライドまで捨てさせ、反抗の牙を完全に抜く。そうしないと安心できない。それが日本最大の宗教法人、創価学会名誉会長・池田大作の偽りのない素顔である。 《『池田大作の素顔』221頁》

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投稿日時:2006/02/14(Tue) 17:47

おなまえ:あどべ
タイトル:樋田さんへ、「池田大作破廉恥行状記」日新報道

そんな本、この世に存在しませんが。

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Re:[1689] 樋田さんへ、「池田大作破廉恥行状記」日新報道 投稿者:管理人(樋田昌志) 投稿日:2006/02/14(Tue) 21:39 No.1693 [返信]

●あまりに無知・頑迷につき、悪吐屁君へ一言。

池田大作「破廉恥行状記」は現実に当方の書棚に”存在”する。
出版社は 日新報道社 である。

当方は現にその書籍を所持しているので、貴公がその存在をあくまでも否定するのであれば、幾らでもその”存在”の証拠を提示できるが、貴公が決定的に大恥をかく前に、まず、貴公の認識不足であったことをここで謝罪するべきではないか?
もし、この件に関し貴公の誠意ある回答が得られない場合は、貴公の、投稿記載に関して、確たる裏付けもとらずに安易に論評する、不誠実極まりないその無責任な態度を徹底的に追求するつもりである。
それでよく”元物書き”だなどと言えたものである。
なるほど、だから今は物書きで居られないのであろう。
こんな無責任な者に誤報を連発されたら、その所属組織はたまったものではない。

さて、「N氏」の件も、やはり貴公のこのような裏づけを取らずに軽率に書き殴る、幼稚で低劣で無責任な態度から発生したのでではないか。
一事が万事である。

さあ、どう申し開きをするのか。
しかも事実誤認に対して、どのように謝罪するのか。

ではその日新報道社の「池田大作「破廉恥行状記」」が書物として存在した状況証拠として前書きの抜粋を掲載する。

まえがき

ここで、どうしても忘れることのできない問題が、もう一つある。       学会の支配者・池田大作自らの膨大なスキャンダル間題である。池田のスキャンダルといえば、それを報じた『月刊ペン」に対する名誉毀損の裁判が記憶に蘇ってくるが、池田創価学会が名誉毀損で訴えたのは、わずかにこの一件だけ。しかも、その顛未はといえば、原告側である学会が、陰で、被告の『月刊ペン』社に三千万円もの大金を支払ったり、結果として、池田スキャンダルは立証できなかったものの、"そうとうに疑わしい"旨の判決が出るなど_真っ黒に近い灰色であった。                                      それ以外に、各マスコミ等で大々的に報じられてきたスキャンダルについては、まったく訴えることすらできず、沈黙を決め込んでしまっているが、それこそ、「これらの恥ずべき事件は、池田という最低男の正体を余すところなく示している。これが、"世界の指導者・広布の最高指揮者・宗教界の王者"などであっていいのだろうか。もしも、これらの報道を、池田側がどこまでも虚偽・デッチ上げだと言い張るのなら、これらを名誉毀損で訴え、法廷で堂々と争い、自分の潔自を証明すべきであった!それができなかった以上、池田は、これらの報道が事実であったと認めたことになる」本書は、これら、池田大作が暗黙のうちに「事実と認めた」数々のスキャンダル報道を、"池田大作「破廉恥行状記」"として、一冊に収録してみた。

池田は昭和三年生まれ、老体となりつつあるばかりか、糖尿病も患っているそうだから、今後は女性スキャンダルもあまり聞かれなくなるかもしれない。                  その意味でも、池田がいかなる行状をなしてきたのか、一冊にまとめて記録に残すことには、大きな意義があるものと考えられるのである。

 また、本書を読むと、昨今、学会が日蓮正宗を攻撃してきたスキャンダル報道や怪文書の中味、表現が、ほとんど、池田に対する世間からの非難・指弾を、ただ相手を変えて浴びせてきたものにすぎない、ということがわかる。

 つまり、池田大作を絶対無謬の存在として崇める創価学会が、悔やしまぎれの意趣返しの心理で、日蓮正宗に低俗攻撃を仕掛けてきたことが歴然としているのである。そうした、学会の手口を知る上でも、本書の刊行には意義がある。少々長くなったが、本書刊行にご協力くださった皆様方に御礼を申し上げ、「まえがき」に替える次第である。


さあ、悪吐屁君、まさに悪吐屁と言われ続けない為にも、貴公の誠意ある回答が見たいものである。

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投稿日時:2006/02/14(Tue) 22:06

おなまえ:あどべ
タイトル:樋田君、笑いました。
URL  :http://www.toride.org/hrenti/hremae.html

この前書きは、創価学会被害者の会のコピペだね。

「状況証拠」っていうのは、手元に物証が存在しないときに使用する言葉だよ。自分の書棚にあるのに、変な表現だなあ。

不自然なスペースまで同じだね。
http://www.toride.org/hrenti/hremae.html


もう一つ言っておくが、君の引用では、最後に《『池田大作の素顔』221頁となっている。普通、これは「池田大作の素顔」という本の221ページという意味だ。コピペ元になっているテキストがすでに矛盾しているんだよ。
いったい、日新報道社の「池田大作破廉恥行状記」はどこに行ったのだ?

>池田大作「破廉恥行状記」は現実に当方の書棚に”存在”する。
出版社は 日新報道社 である。

持っているなら、奥付とISBNコードをただちに公開せよ!

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[1700] 悪吐屁 君へ  投稿者:管理人(樋田昌志) 投稿日:2006/02/15(Wed) 01:30


現実にあるものをどう無いと否定してみても実に儚いものである。
ではその証拠を提示してあげましょう。
もしそれが動かしがたい『池田大作「破廉恥行状記」』という書籍の”存在”の証明であったら、貴公はどう謝罪すのか?

今の内に謝罪文の草案でも練っておくことだな。

さて、当方は今日から明後日まで、外出する。
お楽しみはゆっくりと味わおうではないか。
貴公は大恥をかくその様を思い描き、じわじわその恐怖に怯えていることだな。

では。

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投稿日時:2006/02/14(Tue) 23:57

おなまえ:あどべ
タイトル:樋田さんの書棚に”存在”する『池田大作破廉恥行状記』日新報道
URL  :http://www.toride.org/hrenti/hremae.html

>当方は現にその書籍を所持しているので、貴公がその存在をあくまでも否定するのであれば、幾らでもその”存在”の証拠を提示できる

では、お願いします。提示してください。
一番分かりやすいのは奥付とISBNコードの公開です。
所持しているなら、簡単ですよね?

あなたに以下の言葉をそのまま、お返しします。
「もし、この件に関し貴公の誠意ある回答が得られない場合は、貴公の、投稿記載に関して、確たる裏付けもとらずに安易に論評する、不誠実極まりないその無責任な態度を徹底的に追求するつもりである。」

あなたに以下の言葉もそのままお返しします。
「さあ、どう申し開きをするのか。
しかも事実誤認に対して、どのように謝罪するのか。」

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投稿日時:2006/02/15(Wed) 02:06

おなまえ:あどべ
タイトル:簡単なことができない樋田君へ

おかしいな。君は「自分の書棚にある」と言ったのだ。

「証拠の提示」だの「動かしがたい存在の証明」だの、そんなに力を入れて踏ん張る必要がどこにあるのだい?

手を伸ばして書棚から本を出し、奥付とISBNを公開すればいいじゃない?簡単なことだよ。何故、そんなことができないのかな?

再度、君が証拠を提示して、証明する事項を以下にまとめておくからね。

1)『池田大作「破廉恥行状記」』

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投稿日時:2006/02/15(Wed) 02:10

おなまえ:あどべ
タイトル:樋田氏が証拠を挙げて証明する事項

1)『池田大作「破廉恥行状記」』という書籍が日新報道から出版されている。

2)その書籍の中に、静岡県熱海市の件が掲載されている。

3)その書籍の前書きは、樋田氏が引用した文章が掲載されている。

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投稿日時:2006/02/15(Wed) 06:04

おなまえ:伽羅
タイトル:たしかに「池田大作破廉恥行状記」って本ありましたよ

ボクも日新報道から出されている「池田大作破廉恥行状記」
ネットで見た覚えありますよ、一昨年のヤフーネットオークション
でも出てますよ
http://rating9.auctions.yahoo.co.jp/jp/show/rating?userID=ttn7mdv&author=eilis4010&bfilter=&bextra=&brole=&bpn=1&bsf=

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降魔の剣   <img src="http://toyoda.tv/dream/dream.cgi?id=index">に以下の投稿がありました。

投稿日時:2006/02/15(Wed) 11:15
ホスト名:220.23.205.76
ブラウザ:Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)

おなまえ:あどべ
Eメール:
タイトル:「池田大作 破廉恥行状記」について
URL  :http://www.toride.org/hrenti/hremae.html

日新報道にさきほど直接問い合わせてみました。

あどべ「日新報道さんから『池田大作 破廉恥行状記』という書籍を出版していますか?」

日新「それは書籍ではなく小冊子ですね。弊社は出版しておりません。販売だけさせていただきました。B6版型白黒でページ数もそんなに多くなかったですね。部数もそれほどなかったと思います。すでに当社では扱っておりません。」

あ「どのような内容の小冊子だったのでしょうか?信頼できる内容でしょうか?」

日新「すでに私どもの管理にはございませんし、内容に関しは、わかりません」

あ「どこが作ったものですか?」

日新「それも分かりません」

あ「でも、93年ごろですよ。そんなに前じゃないものです」

日新「弊社は持ち込まれた物をただ販売をしただけです。その小冊子についてはすでに管理外なので、どこが作ったかわかりませんし、内容に関しても弊社が責任を持つ物ではありません」

あ「どこが作ったかわからないものを売ったのですか?」

日新「恐縮ですが、弊社としては、すでに管理外なので、分かりませんとしかお答えできません」

あ「そうですか、どこが作ったかもわからない・・。手に入れる方法はありますかね?」

日新「それも分かりません。ご期待に沿えず大変申し訳ございません」

あ「そうですか。わかりました・・・。」

こんな感じでした。以下のことが事実としてわかりました。

1)日新報道社によると「池田大作 破廉恥行状記」は、それほどページ数のない白黒B6版型の小冊子である。書籍ではない。

2)日新報道社によると、「日新報道社はこの小冊子を出版していない」。「持ち込まれたものを販売しただけ」である。また、「取り扱った部数も多くはない」。

3)日新報道社によると、この小冊子をどこが作ったか「管理外なので分からない」。

4)日新報道社によると、この小冊子がどんな内容だったか、信頼できる内容だったか「管理外なので分からない」。

5)日新報道社によると、この小冊子に書かれた内容に関しては「売っただけなので、責任を持たない」。

また、普通は「何と言う本でしょうか?」「あ、はいはい、ちょっとお調べしますね」という受け答えになるはずが、『池田大作 破廉恥行状記』の名前を言うと、その後の質問に対しては全て即答でした。電話でのやり取りから、この件に関しては今までにも何度も答えている、すでに答えが用意されているという印象を持ちました。

しかも「この小冊子と日新報道は、関係ない。責任を追求されたくない」という意図を強く感じました。「どこが作ったか分からない」「内容は分からない」「責任持たない」という返答(しかもすべて即答)は、通常あり得ないものです。

樋田さんがこの「小冊子」から引用した意図は、「出版元が明確なものに対しても訴訟できないのは、事実だからである」ということでしたね。日新報道社さんは、「内容に関して責任持たない」そうですよ。

で、樋田さんの書棚には、日新報道から出版された『池田大作 破廉恥行状記』という書籍が存在しているでしたよね?

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投稿日時:2006/02/15(Wed) 12:27

おなまえ:あどべ
タイトル:なぜ、出版せずに「自家版小冊子で販売のみ」なのか?
URL  :http://www.toride.org/hrenti/hremae.html

出版業界にいる方ならば、この意味はすぐお分かりになるだろう。

編集者が、持ち込まれた企画や原稿を書籍判断する場合、以下の2つは最低限の基準となる。

1)信頼できる内容かどうか?
事実かどうか、訴えられる危険性がないか、盗作や無断転載がないか。

2)売れるかどうか?
固定したマーケットがあるかどうか、買取があるのか、赤字にならない確証があるか。

この両方を満たしていれば、池田大作 破廉恥行状記』は日新報道から堂々と出版されたはずである。しかし実際には出版されず、「自家版小冊子で販売のみ」となったのである。日新報道は、出版できなかったのだ。

ではなぜ日新報道が書籍として出版せず「自家版小冊子で販売のみ」となったか?簡単である。(1)の基準を満たしていないからである。

あちこちの本からの無断コピペで構成。しかも、その内容自体の信頼度が低い。正常な感覚を持つ編集者ならば、ヤバくて出版できるシロモノではないということは、原稿を見てすぐ判断できたに違いない。

あまりに危険で自分のところからは出版できないが、「出したい」という人に義理立てがあり、冷たく「こんなの出せない、不採用!却下!」といえない状況にある場合、出版社はどうするか?

「ご自分で作られるなら、販売だけはお手伝いしますよ」これが、「出版せずに自家版小冊子で販売のみ」ということである。出版業界ではよくあることだ。

今となっては、販売をしたことすら日新報道は後悔しているではないか。「どこが作ったのか分からない。弊社は販売しただけで、すでに管理外ですので、内容は知りませんし、責任持ちません」この言葉を聞いて、日新報道社の苦渋がしのばれるようだった。

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投稿日時:2006/02/15(Wed) 18:47

おなまえ:伽羅
タイトル:学会は日新報道に前科がありますからね

学会本に過敏になって知らぬ存ぜぬって言うの当然だと思います。40年前のことがありますから

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投稿日時:2006/02/15(Wed) 21:58

おなまえ:あどべ
タイトル:Re:[1719] 学会は日新報道に前科がありますからね

> 学会本に過敏になって知らぬ存ぜぬって言うの当然だと思います。40年前のことがありますから

「過敏」ですか?
よく言いますね。日新報道は、その後も40年間ずっと、一体何冊?というぐらい学会批判本を出し続けていますよ。

原島氏、竜氏、内藤氏、山崎氏、そして阿部信雄氏も、みんな日新報道から出版しています。その感覚は、過敏というよりも、麻痺に近いんじゃないですか?

感覚の麻痺した日新報道ですら、この「池田大作破廉恥行状記」を出版せず、自家版の小冊子として販売だけしたという事実は、その内容がいかに信憑性が低いもので、出版できないモノだったかを如実に物語っていますよ。

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投稿日時:2006/02/15(Wed) 22:55

おなまえ:伽羅
タイトル:>信憑性が低いもので、出版できないモノ

でも自由の砦で随分前から公開されていまだにクローズされていませんよ、「池田大作破廉恥行状記」の内容に近いものはちゃんと日新報道から、内藤国男氏(将棋の人ではありません)が書いて出版しています。

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[1786] この悪吐屁説による”下衆野郎”をあろうことか「支障・・いやもとい、師匠」と慕う悪吐屁君の心境を伺いたいものである。

投稿者:管理人(樋田昌志) 投稿日:2006/02/18(Sat) 00:34

15・16日と宗祖大聖人様の御誕生会へ参詣させていただき、16日の夜は地元で一人の青年が御受戒まで進み、17日は終日創価学会員宅を折伏して回るという、大変有り難い数日を過ごさせていただきました。
まっ、創価学会員がどのような理屈を捏ね回しても、報恩感謝を特に大切にされる仏法の真髄、大聖人様の仏法を報じていると言いながら、末法の御本仏御誕生のこの大事な御日に、人法一箇の戒壇の大御本尊様、つまりは大聖人様の御前に馳せ参じ、御報恩の誠を奉ずることができないことは、まさに仏法に名を借りた”外道”である証拠・現証であろう。
実に浅ましいことである。

さて、この間、悪吐屁君が何やら苦しい言い逃れを縷々書き込んでいたようである。
通読すると、卑怯極まりない、潔くない、邪知狡猾な悪吐屁の性質がよく顕れていてその足掻き振りは”秀逸”である。

では結論的に摧破しましょう。

1、当初、悪吐屁君は「池田大作破廉恥行状記」なる書物は、全く実際には存在しない。ただ「創価学会被害者の会」等のHP上にだけアップされているテキストと思い込んでいたのであろう。しかし、伽羅氏等の反撃に遭い、慌てて「日新報道社」へ問い合わせ、そのような書物が実際に存在することを初めて知ったのだろう。しかし、それが同社の「出版」ではない、ただの「販売」だけである、との回答に胸を撫で下ろし、「出版物」ではないから、当方が「出版物」と示した、そのようなものは”存在しない”との線でいける!と、更に愚論を推し進めていた。

が、これもまさに学会員のお家芸「揚げ足取り」の痴論であって、全く不可である。

当方の趣意は、それが出版物であろうが、少数であろうが、発行のみであろうが、全く関係ない。つまり、そのような書物が世に出て、その内容に問題があって、それが真実でないのなら、告訴なり、訴訟を起こせばいいのであって、起こせないのはそれが「真実」であるからではないか?と、愚昧な悪吐屁君の、また多くの学会員の主張する論理をそのままお返ししただけである。
よって、それが「出版物」であろうが「発行」のみであろうが、社名を明記してこの世へ出したのであるから、その責任を問おうと訴訟を起こしたならば、当然その対象者は限定される。(どこぞの怪文書などとは全く違った性質の書物である)

2、「池田大作破廉恥行状記」なる書籍は現実に存在し、当方の手元にある。
小心翼翼の悪吐屁君は自分の誤認識を謝罪することをなんとしても回避したいがために「小冊子は書籍ではない。」との珍説をぶち上げ、最初の全くの思い込みによる見当違いな反論

▼「> そんな本、この世に存在しませんが。」

との間抜けでフライングな見解をすり替えようと足掻いていたが、全く不可である。

しょ‐せき【書籍】=書物。本。図書。
しょう‐さっし〔セウ‐〕【小冊子】=小型でページ数の少ない書物。小冊。

との如く、所詮「書物」であることには変わりはない。

以上2点の観点によって、悪吐屁君がどのようにくどくどしい弁明と、さも良識者ぶった見解を並べ立てようとも、本質論に於いて全く体を為していない。ほとほと、名聞名利に凝り固まった、≒臆病≒潔くない、姑息で、陰湿な、唾棄すべき人間性である。

さて、では当方の本来の趣旨に戻るが、例えば伽羅氏が適示してくれたように、日新報道では「創価学会・公明党スキャンダルウォッチング」とか、また講談社では「池田大作の素顔」などが「出版」されている。
もしこの内容が虚偽ならば、当然、訴訟を起こして然るべきであるが、今に至るまで全くない。
では、悪吐屁君及び多くの学会員の論理でいえば、やはり内容は「真実」だったということである。

では、その「出版物」から引用しよう。真実であるのだから、軽々に考えてはいけないだろう。
―――――――――――
池田の手口と、女性信徒の信心利用して造った「奥の院」

 池田は、女子部大幹部たちや本部の女子職員に、身の回りの世話をやらせた。亭主持ちも独身も関係ない。相手はとにかく別格の会長先生。女性の側の気持ちは純粋である。不純なのは池田大作だけだ。
 最初は背広をかけさせる程度の用をいいつけ、狙らった相手の表情をうかがいながら肩を揉ませ、裸の胸をさすらせる。これが池田の女性攻略の手口である。
 若い頃からそうだったが、池田大作は他人から軽蔑されることを極度に恐れる。だから女性の場合も、目的を遂げられる相手かどうかを、用心深く見極める。その見極めのつかないうちは、実際行動には出ない。創価学会三代会長という立場を利用して、憤重に策謀をめぐらし、だんだん屈服させていく手を使うのだ。
 この手で、三十才前後から女性学会員を相手に醜い欲望を満足させてきたのが、池田大作という男である。(中略)このように、気に入った女性に目をつけると、家族ぐるみ創価学会職員としてかかえこみ、第一庶務や女子部幹部にとり立てる。そして多少あきてくると側近幹部に下げわたし、それでも気がむけば呼びつけて、身辺の世話をさせる。その夫は議員にしたり、幹部にして取り立てる、というのが池田のやり方なのである。世間の人たちには、単に池田個人の猟奇や好色話として映るかもしれないが、池田大作の女性関係は、欲望を充たすことであると同時に、人をして精神的に屈服させ、支配するための手段なのだ。(中略)彼女たちは池田の目にとまりたいと願い、池田との親しさを競いあい誇示する。「お手付きになりたい」との声まで出る始末だった。あげくに、その念願をはたした当人たちは池田会長との特別な関係をほのめかして他に威張り、周りは「いいですねぇ」と羨ましがった。いってみれぱ人気スターと熱狂的ファンの関係、世間流にいうとそうなる。そして、池田は女性会員たちの倒錯した心理を悪用し「奥の院」をつくりあげた。それが一連の下半身スキャンダルを生んだ背景だったわけである。《『池田大作の素顔』210頁〉
―――――――――――
悪吐屁説では、これは「真実」であるのだから、池田大作という男は、およそ、大聖人様の仏法とは程遠い、寧ろ対極にいる、実に醜悪極まる下衆野郎、ということになるがどうであろうか。
この悪吐屁説による”下衆野郎”をあろうことか「支障・・いやもとい、師匠」と慕う悪吐屁君の心境を伺いたいものである。

――――――――――――――――――――――

投稿日時:2006/02/18(Sat) 01:03

おなまえ:あどべ
タイトル:予想通りの愚論。

>社名を明記してこの世へ出したのであるから

どこの社名でしょうか?あなたの書棚にあるのでしょうから、奥付を公開してください。

――――――――――――――――――――――

[1825] Re:[1788] 予想通りの愚論。 投稿者:管理人(樋田昌志) 投稿日:2006/02/18(Sat) 16:51


●> >社名を明記してこの世へ出したのであるから
>
▼> どこの社名でしょうか?あなたの書棚にあるのでしょうから、奥付を公開してください。

●ほとほと、悪吐屁君は、暗愚で頑迷、低脳にして粘着質、往生際の悪い、姑息な変質漢である。

当方の書棚に在る、「池田大作「破廉恥行状記」」という「書籍」の画像をアップしたので、とくと確認するがいい。

http://toyoda.tv/harenti.htm

確認の後、貴公の思い違いを詫び、速やかに謝罪せよ。

因みに

「投稿日時:2006/02/18(Sat) 12:02
ホスト名:58.89.98.131
ブラウザ:Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 6.0; Windows NT 5.1; SV1; .NET CLR 1.1.4322)

おなまえ:大勝利
Eメール:
タイトル:もう一人
URL :

コピー用紙をホチキスで留めると書籍になる低脳君発見!(笑)」

新たに、上記の如くの低脳児が飛び込んできたが、アップした画像の如く、該書は「コピー用紙をホチキスで留め」たものではない。
であるから、全くの誤認識で、実名である当方を中傷し名誉を毀損したのであるから、HN大勝利君、誠意ある謝罪をしたまえ。

悪吐屁君及び大勝利君らが、もし誠意ある謝罪ができないとならば、創価学会員が如何に卑劣で姑息で見苦しく恥ずべき醜類であるか、貴公らが証明していることになるであろう。

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投稿日時:2006/02/18(Sat) 13:28

おなまえ:リーガル
タイトル:「池田大作破廉恥行状記」

(※悪吐屁→)> そんな本、この世に存在しませんが。

この本、存在しましたね。一応、訂正なり謝罪をしたらいかがですか?

あどべ君、2月16日の慧妙にデビューしましたね。おめでとう。
これで、君も、堕地獄確定だね。腐の根、マグマグを追い抜いたじゃないか。!

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ついでに 投稿者:管理人(樋田昌志) 投稿日:2006/02/18(Sat) 17:28 No.1827 [返信]

以下の文に対しても、創価学会側は訴訟を起こしていない。
故に真実である。(悪吐屁説)

有意義な解析なので、創価学会員・法華講双方はこの「真実」を心に刻もうではないか。
悪吐屁君の説に大感謝である。呵々
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池田大作乱行の動機

例の"三畳間証言"のOYも、池田からミカンの食べかけと、ビールの飲みさしのお下げ渡しを受けるよう強制されている。(中略)池田の女性醜聞もお下げ渡しと同様、考え方として二分類できるのではないか。

一つは相手の女性が心から名誉と考え、女性の方から積極的に近づく場含である。(中略)現に中年の一女性学会員は、こう放言してはばからなかった。「仏様に抱かれるなら、結構なことじやない。ふつうの男に傷ものにされてから嬢ぐより、どんなにいいことか。」ここにいう仏様とは池田のことである。

もう一つは、池田が忠誠心を試す場合である。まず迫って、その女性がイエスかノーか試される。次いで女性が独身なら、池田の手のついたその女性を娶ることを求められる男性が試される。飲食物に似た文字通りのお下げ渡しである。

女性に夫がいるなら、夫が、お手付き後でもその女性を大事にするかどうか試される。これはトウガラシを、目に火の玉カが飛ぶほど掛けられたウドンに似ている。夫には苛烈な体験である。《『創価王国の野望』紀尾井書房刊 103頁》

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投稿日時:2006/02/20(Mon) 06:17

おなまえ:伽羅
タイトル:おっ管理人様 「池田大作破廉恥状上記」アップされたのですね♪

http://toyoda.tv/harenti.htm
あれ、あどべ氏はFボーイNo.9487で発行は日新報道ではない
確認済みと言っていますが、発行所は日新報道じゃないですか
本当に確認したのでしょうか?それともハッタリ? 

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もし、自身に正義があると思うのならば、堂々と登場して反論せよ。 投稿者:管理人(樋田昌志) 投稿日:2006/02/21(Tue) 01:15 No.1904 [返信]

今興味深い悪吐屁君の他版での書き込みを発見したので、ここで彼を”検証・・・もとい顕彰”するために、転載させていただきますが、お得意の”著作権”で訴えますかね?呵々
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今夜あたりT氏が戻ってくるのでは? 投稿者:あどべ 投稿日:2006-02-17 17:50:50 No.9487 

「その書籍は書棚に厳然と存在している」と言っていた小冊子の件ですが、
今夜あたり戻ってくると思います。

どんな強がりが出るか楽しみです。たぶん「小冊子も本だ、書籍だ」なんていうんだろうな。もともと彼がこの小冊子を引用した意図は「怪文書ではなく、書籍としてきちんと出版され、出版元が明らかなのに、学会が訴訟していないのは、内容が事実だから」というものでした。

自家版の小冊子で、販売のみを行った会社ですら「管理外だから内容は分からないし、責任持たない」「どこが作ったかも分からない」というお粗末なシロモノであることが分かった今、彼の引用意図も木っ端微塵に砕けました。

また、私の「そんな本はこの世にない」「置付とISBNコードを公開せよ」という発言も、そんな書籍が日新報道社から発行されていないことを確認ずみの上でのことです。
もしあったとしても、せいぜい、怪文書かミニコミパンフレットかそんな程度のものであることは、最初からわかっていました。

さて、どんな球を返してくるか、楽しみです。

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さて、悪吐屁君?

当方でも、当然の如く日新報道社に、該書について再確認の為、問い合わせている。
間違いなく同社の発行であることは認めている。

しかも現物はアップした如く「当方の書棚にある」。(因みに裏表紙のカビかたなど、実に”現実感”があるではないか?)

「▼私の「そんな本はこの世にない」「置付とISBNコードを公開せよ」という発言も、そんな書籍が日新報道社から発行されていないことを確認ずみの上でのことです。
もしあったとしても、せいぜい、怪文書かミニコミパンフレットかそんな程度のものであることは、最初からわかっていました。

さて、どんな球を返してくるか、楽しみです。」

ほ〜〜。

実名で掲示板を運営している人物へのこの誤認識による中傷内容を謝罪しなくては、貴公の”元物書きとしての信条”に反するのではないか?
それとも最早自己保身の名聞名利のためにそんな”似非信条”も擲つか?

■名聞名利は今生のかざり、我慢偏執は後生のほだしなり。嗚呼、恥づべし恥づべし、恐るべし恐るべし。
■名聞名利の心を以て人にすぐれんと思ひて今生をわたり、衆生をたすけず、父母をすくふべき心もなき人を、食法がきとて法をくらふがきと申すなり。
■悪世の衆生は、我慢偏執・名聞名利に著して、彼が弟子と成るべきか、彼に物を習はゞ人にや賤しく思はれんずらんと、不断悪念に住して悪道に堕すべしと見えて候。
■たまたま人間に来たる時は、名聞名利の風はげしく、仏道修行の灯は消えやすし。
■一、学問未練にして名聞名利の大衆は予が末流に叶ふべからざる事。

御本仏大聖人・二祖日興上人の御叱責をよくよく心腑に染むべきであろう。
つまりは今のままでは貴公は堕獄必定の卑劣漢そのままである。

最新版「慧妙」の記事については、また後日じっくり摧破する。
悪吐屁君、自身の不正直さ加減を暴かれるのを物陰で息を潜めて楽しみに待っていたまえ。

もし、自身に正義があると思うのならば、堂々と登場して反論せよ。
(しかし、貴公の人間性では無理であろうか。)
貴公の潔い態度を信ずる。

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投稿日時:2006/02/21(Tue) 18:27

おなまえ:あどべ
タイトル:樋田君、なんか、勘違いしてないか?

小冊子が存在したか?しないか?
それがメインテーマだったのか?

内容が真実かどうかだろう。
この件は、引き続き私も追及し続けるつもりである。

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[1920] Re:[1919] 樋田君、なんか、勘違いしてないか? 投稿者:管理人(樋田昌志) 投稿日:2006/02/21(Tue) 18:44

久しぶりに顔を出せばこの程度の言い訳しか出来ないか?
卑怯・卑劣だけでなく、全くの無能者である。

では悪吐屁説でいきましょう。

以下の記述は講談社”出版”の「池田大作の素顔」からのものである。
この極めて具体的な描写に関し池田大作本人もしくは宗教法人創価学会から今の今まで訴訟などが全く起こされていない。悪吐屁説によると、であるならばこの内容は真実である。ということになる。
悪吐屁君はこうして自分の師匠を追い込んでいっていいんですかね?
立場が拙くならないかね?

では真実の話。
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池田の〃乱行〃の仕組みと具体的手口

池田氏は風呂好きで、一日に何回も入る人で、そ の時は午後でしたが、部屋の隅に浴衣、下着の類が置かれていました。その浴衣のすそに、赤い紅のようなものがついているのが見えました。女性の名前は出しません。

 そのあと、下へおりてからUM現副会長が、私に「おい、見たか、見たか」と非常に興奮していうのです。私は、「いったい、なんのこと?」と聞くと、「赤い紅がついていたろう。あれは口紅なんだ」といいました。それで私も「あれは確かに血ではない、紅だ」と思いました。私は当時、結婚はしていましたが、そういうことはうぶで、フェラチオも知りませんでした。上田さんは、不良出身で、「あれはフェラチオだ。前からあんなふうなことやっているんだ」といい、私が「まさか」というと、「いや本当なんだ」といって、十数名の女性の名前をあげました。

 そして、第一庶務には、いわゆる第一庶務と、本当の第一庶務がある。本当の第一庶務とは、池田大作と肉体関係のある人たち。いわゆる第一庶務は肉体関係のない人たちで、特別施設などへ池田氏が行く場含、本当の第一庶務の人に、いわゆる第一庶務の人を組み合わせてカムフラージュしているのだ、ということをいいました。

 第三に、池田先生はここ十年間、暴力団の襲撃を防ぐために家に帰らないといっているが、本当は地方の各地にそれぞれの女性がいる。

 第四に、女性に胸のあたりをさすらせ、次いで腰をもませ、さらに男性の重要な部分を握らせて、そうして(心理的に)乗り越えさせるのだ、と、以上のことを上田は話しました。「元創価学会教学部長・原鳥嵩氏の証言」《『池田大作の素顔」132頁》

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いよいよ、大変なことになってきたものである。
悪吐屁君復帰おめでとう。
当方も貴公が非を認めない限り、「この件は、引き続き私も追及し続けるつもりである。」
どうもありがとう。


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これ以降、「あどべ」君は、この件に関しては、全くの沈黙を守っている。
つまりは完全に反論不能状態である。
事実を誤認したのであるから、誠意をもって謝罪ぐらいすべきであろう。
人を批判する前に、こういう当たり前の良識を持っていただきたいものである。
そういう通常の感覚を失ってしまうのが、邪宗教の怖さである。