今月426日は支部総登山です!

しかも、一年に一度の支部総会が開催されます!

全国の妙相寺メンバーが一同に集う唯一の機会と言ってもいいでしょう。

 

また、妙相寺メンバーが御本尊御下付いただけるのは、菩提寺妙相寺か総本山しかないので、御本尊御下付を希望されている方には貴重な機会でもあります!

既に大勢のメンバーがこの日御本尊御下付を受けられます!

もし御本尊御下付を御希望の方は、早めに登山部へ連絡してください。

 

今回は、一斉配信メールでもそのつど体験談を送っていいる創価脱会婦人部の方が体験発表していただきます。

それと共に、全国メンバーの方々からできるだけ多くの方の「決意の一言」をいただきたいと思います!

本当に全員の御発言をいただけるかは未定ですが、一応の心づもりでおいでください!

まだ総登山の申し込みされていない方は、まだ間に合いますので、どうかよろしくお願いします!

私、樋田は前泊で遠方より来られる方々をお待ちしております!(の予定です(^_^.)

前泊組の方々と座談会しましょう!

申し込みは登山部の方へよろしくお願いします!

09025266565 です。

 

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Subject: こんばんは^_^

 

先日はありがとうございます。

皆さん壮絶な体験の中、やはりスマホがきっかけで気付く事ができたと伺って共感し、真剣に信心をされている様子を目の当たりにし、とても感激しました。

樋田さんにおかれては、命懸けでYouTubeUPされ始めた頃の、まさに捨て身のご決意や、その代わりとして、自在にご奉公に動き回れ、現在は熱原の法華講衆のような究極の成仏の境界の一分をも体験しておられ、その成仏の境界の素晴らしさをリアルに教えて頂き、何度も思い返しては

『成仏の境界っていいなぁ』

本当にしみじみ…ただこの一言です。

 

一生のうちに私がそんな境界にいかせてもらえるのかは、これからの信心しだいなんだと感じました。

 

それから、娘も楽しかったようで『面白い人だった』と言ってました。皆さん、娘の事も度々気にかけて頂きありがとうございます。温かい方々だなと感じました。

 

教義アドバイス、送って頂きありがとうございます。セロリさんのブログ、実は私、何度も参考にさせて頂いていたので妙相寺支部と知り驚きました。

じっくり読ませて頂きます。ありがとうございます。

 

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----- Original Message -----

はじめまして。

顕正会歴18年、日蓮正宗歴4年、妙相寺支部で千葉県在住の、Nと申します。

「セロリ」というハンドルネームでブログも書いております。

 

ブログ

http://blogs.yahoo.co.jp/no_sleep502goal/MYBLOG/yblog.html

 

さて先日、一斉配信メールにて書き込みを拝見させて頂き、私から樋田さんに「支区部長さんを破折させて頂きたいです」と願い出てました。

 

 

もしかしたら筋を通さなかったことを落ち込まれているかもしれませんが、そんな必要はないと思いますよ(^-^)/

 

例えば顕正会に入るときに、顕正会のことを両親や友人に相談してから入る人はほとんどおらず、

また薦める顕正会員も、「相談してから入るのが筋だからちゃんと周りの人に相談してから決めなさい」とは言いませんよね。(魔が入ることをおそれますよね。)

 

それこそ親から見て、「勝手に相談なく宗教に入って、自分の身内のみならず親の知り合いにまで勝手に宗教の話をしている。卑怯だ。」となるケース、顕正会ではいっぱいあると思います。

 

人の一瞬一瞬の行動は、それまでの人生でつかんできた感覚でするものですから、むしろ元顕正会員さんだからこそ、相談せずに辞めて相談せずに班員に話すことになりやすいものだと私は思います。

 

それにしても、そこまで言う方で、2時間も電話できる支区部長さんならば、私ならばかえって逆手にとり、「それならば私が思う顕正会の疑問に最後まで向きあってください。こちらの話も聞いてください」と言いそうです(*^^*)

 

顕正会幹部は、自らの望まない論理展開になってくると話をしない傾向が多いですが、もし支区部長さんが話を聞いてくれる人ならば、話すうちに必ず何かを感じ始めると思いますよ(^-^)/

 

 

前おき長くなりましたが、

 

以下、私の見解です。

 

 

 ◇支区部長曰く

『時の貫頭たりといえども〜』の己義についての御書の解釈が日顕上人から変わった』そうです。

「最後に申すべきこと」の17ページに該当の解釈変更がありますが、まず日顕上人ではなく日達上人ですね。

これは顕正会では都合の良い部分だけを抜き出して書いています。

 

昭和47年発行の講義録のもとになる講義は、昭和456月の日達上人の発言です。

 

ここでは確かに「時の貫首の権限を言っている」との発言もありますが、

 

 「一つは普通に今まで言ったとおりにしても一往は通るにしても、もう一つ深い意味があるということを考えてもらいたい。」

 

と最後に付け加えられています。

つまりは日達上人は、「もう一つの意味もあるんだよ」と仰っているに過ぎず、定義を変更したわけではないのですね。

 

ところが、講義録にはどうやら、「時の貫首の権限」 と端的に書かれてしまったようです。

 

しかし、「時の貫首たりといえども」の解釈は決してそのままだったわけではありません。

 

日顕上人は「大日蓮」昭和558月号において、

 

 「『時の貫首』という語を『之れを用うべからず』の語との関連で、主語として考えるか客語として考えるかの区別になるわけですけれども  。仮に客語として考えた場合は、そのときの貫主が、つまり私なら私に仏法の相違があり、己義を構えた場合、大衆はこれを用いてはならない、というわけです。

(中略)

 例えば私が今から、大聖人の仏法の化儀・化法の一切に背いて、なおかつ、なんぴとにもそれと分かるようなことを言い出したならば、これはたしかに用いるべきではありません。 」

 

と発言されております。

また、現在の日蓮正宗の「時の貫首たりといえども」の解釈として、「日興遺誡置文のやさしい解説」という本には、この日顕上人の発言がちゃんと載っております。

 

「日顕上人から定義が変わった」のではなく、「日顕上人の時代になり定義が戻った」と判断されるべきですよね。

 

 

 

次、

 

 

◇私が疑念を感じるようになった理由より、『大事なのは国立戒壇、先輩に相談なく御受戒を受けた上に班員さんに話したりして卑怯だ』と言われ、その通りだなと思いました。

外部からの情報を知り、それを内部に確認した上で御受戒を受け、班員さんに話すのが筋だったのに…と。

はっきり申しまして、外部からの情報というか、日蓮正宗側の顕正会破折を顕正会内部に確認して、納得の答えが得られることはまずありません。

 

今この文面の中でも支区部長さんは「大事なのは国立戒壇」と話をはぐらかしております。

御書や歴代上人の御指南を会員が直接勉強できず、全てが浅井会長の指導にのっとっている顕正会員は、真っ向から疑問に答えることはなかなかできないのですね。

 

そこで結局は「浅井先生を信じなさい」「浅井先生を信じられないのか」となってしまうことが多いのです。

 

 

 

◇最後に国立戒壇と御遺命について

 

 

「国立戒壇」とは、御遺命ではなく、御遺命の戒壇の一つの名称にすぎないんですね。

 

御遺命の戒壇の名称は、一期弘法付嘱書では「本門寺の戒壇」ですし、折伏理論書の第9章160ページ以降は、何度も何度も「本門戒壇」を使ってます。

日蓮正宗では「本門寺の戒壇」「本門戒壇」は捨ててないです!

 

「国立戒壇」という呼び方をやめたに過ぎないんですよね。

 

顕正会では「三大秘法抄の戒壇の部分を約言した言葉は国立戒壇以外にはない」みたいなことを言いますが、

 

逆に「国立戒壇」の方からイメージすればどうでしょうか?

 

「国が建てる」

「国費で建てる」

(民衆の広宣流布とも王仏冥合とも関係なく)国が決めたらいつでも建てる」

と。

詳しくは省略しますが、これら全てが顕正会の主張とすら違いますよね。

 

 

では御遺命とは何なのか?と言えば、

 

「本門寺の戒壇建立」でもありますが、

 

「広宣流布」でもあり、「全人類の成仏」でもあり、「仏国土建設」でもあるはずですよね。

もっと言えば、「日興上人が私の後継者だ」も、「地頭の波木井実長が謗法者になったら私も身延には住まない」も御遺命だと思います。

 

そう考えたとき、「国立戒壇」(の呼び方)に固執するのはおかしいですし、

 

「国立戒壇」は顕正会の洗脳ワードだと今なら感じます。

 

 

長文になり申し訳ありませんでしたが…

 

教学的なことは、良ければ私も相談に乗らせて頂きますので、質問があれば仰ってくださいね(*^^*)

 

関連リンクです。

 

時の貫首たりといえども

http://blogs.yahoo.co.jp/no_sleep502goal/9117850.html

 

 http://blogs.yahoo.co.jp/no_sleep502goal/9117891.html

 

 

国立戒壇シリーズ(未完結)

 http://blogs.yahoo.co.jp/no_sleep502goal/folder/480612.html

 

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お疲れ様です。お世話になってます。

私ごときのつたない体験談ですが、まとめて頂きありがとうございます。

勧戒と御本尊下符とチラシ配りの事を付け加えまして、また書いてみます。

元旦那に着信拒否されてましたが、最近解除したのか繋がるようになり、電話で

「日蓮正宗に帰依したら、本当に身体が良くなって嬉しい。

やっぱり正しい弘安2年の御本尊に祈るのと、創価学会のニセ本尊に祈るのとでは、全然違う」話をしたら、

「日顕宗に行ったヤツの話なんか聞きたくない、もう日顕宗の話はするな!」と言われ、

「日顕宗なんてないし、創価学会が勝手に作った言葉であって、日蓮正宗は本当に凄い。歓喜と生命力が出てくるんだよ。」と言ったら、

「うるさい!」とか言って、

「選挙は公明党入れないんだろう?選挙やらないなんて、世の中の平和考えてないだろう!」って。

「選挙は信心に関係ないけど?あくまで、邪宗ハシャク、折伏が大事であって、日蓮大聖人が選挙が大事だって言ってないよ。」って言ったら、

「日顕宗のヤツの話は聞きたくない!辞めろ!」って。

私、「なんなんだよ!日顕宗、日顕宗って!日顕宗って呼ぶな!日蓮正宗だ!お宅らが言う、仏敵に私は入った!仏敵仏敵って創価は言ってるけど、全然違う!創価は嘘つきだ!顕正会からもどんどん辞めてるよ!」って言ったら、

「顕正会よりはまだ良いかもしれない」って。

「でも俺は法華講大嫌い」だって。

「それは、創価に言われて洗脳されて思ってるだけなんだよ!法華講の人達は本当に楽しくて面白くて、仏法の勉強凄いし、折伏の力が凄いんだよ!私、信心が楽しくなった。」って言ったら、

「あーそうかい、そうかい」ってバカにした感じの言い方で。

「もう日顕宗の話はするな!」と話は終わってしまいましたが。

前よりは少し話ができた感じです。

 

で、昨日は、千葉で第三弾の活動しました^o^雨の中遠くから皆さん集まって頂き嬉しい^o^ 

K1さん、K2さん、Iさん、私の四人で、1500以上配ることが出来ました^o^

天気は雨でしたが、不思議ですね。

チラシ配りの時は、小雨というか、たいした雨じゃなかったんだです。

傘もささなくても大丈夫なくらいでした。

本当に皆さんに感謝ですm(__)m

活動始めようとしたら、すぐに公明ポスターあって、「行ってみよう!」ってみんなで行きました。

玄関さがしましたが、どこにあるのかわからない家でした。

角の店になってて、グルリと玄関を探しましたが、ないんです(笑)

二階は住まいになってるようだったけど、玄関ないから諦めました。

で、それぞれ分かれてポスティングして、K2さんとこの辺から配ろうって歩いてたら、道路の向こう側にポスターあって、「行ってみようか!」って二人で行こうとしたら、その家から人が出てきて、車に乗って出かけてしまいました。

道路は交通量が多く、なかなか渡れず、残念でした。

あと、この前チラシを見て電話があった人のところに行ってみたら、留守でした。

最初と、最後電話もしたけど、出ませんでした。

でも諦めず、来月もみんなで行ってみます。

活動後は、本当に歓喜です^o^

皆さん、面白いし楽しくて別れるのが淋しくなります。

来月もやります^o^

いつも来てもらうばかりで申し訳ありませんが、こちらかも行ける境涯になれるようにガンバリマス^o^

よろしくお願いしますm(__)m 

 

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日達上人御指南。

昭和45628

(「戒壇論」より)

(前略)

これの意味は、「貫首であっても、仏法に相違して己義を構えるそういう者を用いてはいけない」というんです。貫首は誰を用いてもいいんだ、誰でも用いられる。どういう役にでも、あるいは自分の補処にでも、何にでもできる。しかし、仏法に相違して己義を構えた者はこれを用いてはいけないと書いてあるんです。だから全然話が違う。それを、ただ、貫首が仏法に相違したからこれを用うべからずなどと、何を言うんだかさっぱりわからない。これはよく考えてくれなければ困る。そういう解釈がちゃんとある。一つは普通に今まで言ったとおりにしても一往は通るにしても、もう一つ深い意味があるということを考えてもらいたい。その例があるでしょう。

   今、聖教新聞の人間革命によくでている小笠原慈聞がそうじゃないですか。小笠原慈聞がはじめ処分された。処分されてまだ処分の期限が切れないのに、あれを採用してしまったんです。

(後略)

 

 

日顕上人御指南「大日蓮」昭和558月号

 

 そしてこれは、今の『二十六箇条』に関連したものとしてお話しておきますが、

 「時の貫主たりと雖も仏法に相違して己義を構えば之れを用うべからざる事」(聖典五六四頁)

という御文があります。この御文に関しましては御先師もいろいろな意味での御指南を賜わっておりますが、やはり御先師の御指南は御指南として私は、その御指南の意義を謹んで拝受していくものであります。

 しかしまた、ある面から考えましても  つまり「時の貫首」という語を「之れを用うべからず」の語との関連で、主語として考えるか客語として考えるかの区別になるわけですけれども  。仮に客語として考えた場合は、そのときの貫主が、つまり私なら私に仏法の相違があり、己義を構えた場合、大衆はこれを用いてはならない、というわけです。これについては日達上人も「しからば、その己義というのはだれが判定するんだ」と皆さんに反問されていたことを御承知でしょう。

 たしかに、そういう意味があるのです。即ち、例えば私が今から、大聖人の仏法の化儀・化法の一切に背いて、なおかつ、なんぴとにもそれと分かるようなことを言い出したならば、これはたしかに用いるべきではありません。しかし、大聖人の御指南を根本としたうえで言っておることに関してならば、やはりその法主の指南を中心に聞かなければならないはずであります。

(大日連 昭和55年8月号10ページ)

 

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N君から教えていただいた、浅井昭衛が「本門戒壇」という語を使用していた文献

浅井自身が「国立戒壇」と言っていなかった文証となる。

 

 

全て、顕正会の折伏理論解説書です。

(「理論書」「折伏理論書」と顕正会員に呼ばれてます)

 

もちろん、「国立戒壇」も使っておりますが、「本門戒壇」を使った部分のみを抜粋しました。

↓ ↓

 

 

次に本門の戒壇とは、三大秘法抄・一期弘法付嘱書に示されるように、広宣流布の暁に一国の総意・国家意思の表明を以て、この「本門戒壇の大御本尊」を安置し奉るべく建立される大霊場である。この本門戒壇の建立こそ仏国実現の秘術であり、大聖人が滅後の門下に託された唯一の御遺命である。(124ページ )

 

 

日蓮大聖人の御遺命については、すでに第七章においてその大綱を説明してあるが、本門戒壇の御遺命は仏弟子にとって最大事である(160ページ)

 

 

一、本門戒壇建立の意義

日蓮大聖人は、本門戒壇を建立して日本および全世界を仏国と化し、全人類を現当二世に救済することを、究極の大願とあそばされた。

ただしこの本門戒壇の建立は、日本一同に南無妙法蓮華経と唱え奉る広宣流布の暁でなければ実現できない。(161ページ)

 

 

されば、本門戒壇建立の御遺命こそ門下にとっての最大事(161ページ)

 

 

では、どうしたらこの仏国は実現するのであろうか。ここに本門戒壇建立の重大意義がある。(164ページ)

 

 

まさしく本門戒壇の建立とは、戒壇の大御本尊の妙用により、日本を仏国とする秘術なのである。

もし日本に本門戒壇が建立されれば、この大波動はやがて全世界におよぶ。(165ページ)

 

 

二、本門戒壇についての日蓮大聖人の御指南(※タイトルです165ページ)

 

 

「日蓮一期の弘法」とは、大聖人の出世の本懐・一期の大事である本門戒壇の大御本尊の御事である。この大御本尊を日興上人に付嘱して本門弘通の大導師に任じ、広宣流布の時いたれば本門戒壇を建立すべしと御遺命されたのがこの付嘱書である。(167ページ)

 

 

「予年来己心に秘す」の仰せのごとく、一代の御書四百余篇の中において本門戒壇について御教示されたのは、御入滅の年に著された一期弘法付嘱書とこの三大秘法抄だけである。それは、本門戒壇の法門が一般門下の理解をはるかに超える甚深の法義であるうえ、国家レベルにおいて一切の邪法を捨てて三大秘法を受持することがいかに大難事であることか。このゆえに深く己心に秘し給い、太田殿に示されたのちもなお「一見の後は秘して他見あるべからず、口外も詮なし」と厳しく誡め給うのである。

まさしく本抄こそ、広布の前夜、本門戒壇について異議を生じた時のために、留め置き給うたものと深く拝すべきである。(168ページ)

 

 

さて、この三大秘法抄において、本門戒壇がいかなる時、いかなる手続きをもって、いかなる場所に建てられるべきかという大事が、初めて明示されている。(168ページ)

 

 

いわんや広宣流布し憲法が改正された暁には、本門戒壇建立は国事中の国事として、国主たる天皇・行政府の大臣の連署により国家意思が表明されることは自明である。(170ページ)

 

 

この「勅宣・御教書」の定めのゆえに、冨士大石寺の先師上人は御遺命の本門戒壇を「国立戒壇」と呼称されてきたのである。(170171ページ)

 

 

「三国並びに一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等も来下して踏み給ふべき戒壇なり 」とは、本門戒壇の大功徳の広大を示し給うものである。(172ページ)

[※顕正会では「踏」の字が違いますが漢字がでません。

日蓮正宗の御書では、「一閻浮提の人」と「懺悔滅罪の戒法」の間に「・」はありません。]

 

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大分など新たに連絡先が追加されました!

 

http://toyoda.tv/st.htm

 

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----- Original Message -----

 

初めてでした。

 

樋田さん、私に下記の様な不思議な事が有りました

平成20年7月29日に母が逝って1か月ほど経った頃だったと思いますが

或日、6畳の部屋で母の衣類の整理を行ってた時、何気なく

本箱の上と天井との間の壁に、今迄見た事も聞いた事も無い様な

サナギ、と思う虫が壁に這って居たのです、形状は太さが15mm程度

長さ110mm程度、と感じたのですが、ユックリと蠢いておりました。

  色は明るい黄緑色でした、ので、直ぐに殺虫剤を取り出して、そのサナギ目掛けて

噴霧したら、本棚の上に確かに落ちたのを確認したので、テーブルを持って来て

その上に乗って本箱の上を見たら…そのサナギの姿が無いのです、若しかして本箱の

後ろへ落ちたのか?と思い、(実際には本箱の後ろと壁との隙間は1〜2mm程度の隙間

は空いてましたが、そのサナギの太さが、落ちる程の隙間ではありませんでした。

 

念のため、と思って、本箱に収納してる本を全て取り出し、本棚を手前に移動されて、

十分隙間を造り、後ろを除いて見ましたが、サナギの死骸すら見つけ出せませんでした。

 

何とも不思議な出来事に、どの様に捕らえたら良いのか?、すら見出せず、今に至りました、

当然、この事は誰にも話さず、今迄黙してきましたが、ただ確実に感じて来たのは、

年々歳々苦しく成って来てたのです。

 

その変化は1日、10日、と言う短期間では無く、半年。1年、と言うスパンで、確かに

何年前と比較すると、苦しさが増してたのです。

まるで、真綿で首を絞められるが如くでした。

 

当初は、何が原因なのか、すら見当が付かず、来てましたが、だからと言って本尊に

手を合わせる事も無くでした、が、とうとう昨年12月4日夕方、風呂場に行って

カッターナイフで左首り頸動脈を切断したのですその瞬間、血が勢いよく噴き出すのが見えて、

一刻も早く絶命為たかったので思いっきり息張って血を噴き出させたのです、やがて身体が

動かなくなりだし、腕を上げる事すら出来なくなって、フッと感じたのは、大便が自然と

流れ出て居たのです、動かぬ身体を這いつくばって部屋に戻り、布団に倒れ込んだら

再び血が噴き出したと思ったら、今度は掛け布団に血が広がったのです、しかし、どうしてか

判りませんが、無意識に電話で119番をプッシュしてたらしく、気が付いたのは、救急車の中でした

 

それで、掛かり付けの病院へ搬送されて血管を縫合され、切った皮をも縫合されて一命を留めたました

しかし、まだ原因と成る物が分からず、1月、2月、と過ぎたのですが、苦しさは変わらず、、確か以前

樋田さんの映像に偽本尊に邪気が入り込む、と言われてた事を思い出したのでした、早速樋田さんの脱会センター

へ電話を掛けたら飯島さんにヒットしたので大体の事述べたら、高原さんが電話を下さったので、兎に角

来てくれますか?、と尋ねたら26日に来て下さるとの事で、私の本尊を見て下さり、そうしたら、偽本尊

で有る、と

謂われたのです、高原さん曰く、そのサナギは、実際には存在して無く法華講に取り憑いた悪鬼が姿を変えて

私には見えた。と謂われたのです、その瞬間、即座に判りました、高原さんが私が所持してた偽本尊を妙相寺さまへ送って下さる

と言って下さったので送料をお支払いして妙相寺さまへ送って戴きました、

 

今は○○寺様へ勤行。唱題を行いに行ってます、高原さんが26日に大石寺へと連れて行って下さるとの事で

その時に御本尊様ほ下付願いを書いて戴ける様にして下さる、との事でした

今は、毎日、○○寺様へ行って唱題。勤行を行っております。

 

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そうだったんですね。

いつもいつも気を遣って頂いて有り難うございます。

 

(中略)

 

それから私が2回戦とも完敗ながらも戦わせて頂けるのは樋田さんのお陰です。事あるごとに、樋田さんのYouTubeが無ければ今日も…と考えては涙目(;_;)

いつも感謝しています。

 

真如苑破折の動画も是非見させて頂きます。

それでは宜しくお願いします☆

 

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とよださん、こんにちは。

昨日も創価の友人と対話したのですが、創価はまったく事の戒壇と義の戒壇をごちゃまぜにして考えてるようで立て分けて考える事ができてないようでした。まったくここまで教学がわかってないようでびっくりでした。

未だに御本尊については本門の本尊は自分達のおカタギ御本尊だと主張し続けてますし、久遠の法の南無妙法蓮華経であるからかわりないとの主張を繰り返してました。

どうやったら分かってもらえるのか、自分の力の及ばぬ事が不甲斐ないばかりです。

 

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