立正安国論正義顕揚750年・新年初登山の意義について

日蓮大聖人様はこのように仰せであります。

■ 正月の一日は日のはじめ、月の始め、とし(年)のはじめ、春の始め。此をもてなす人は月の西より東をさしてみ(満)つがごとく、日の東より西へわたりてあき(明)らかなるがごとく、とく(徳)もまさり人にもあい(愛)せられ候なり。(十字御書 弘安四年一月五日 六〇歳 1551)

お正月のはじめは、一年の一番最初めであり、月の一番初めであり、これから一切が開いていく春の初めであります。(※当時は旧暦ですから)
この時に、何はさて置いても法華経(=戒壇の大御本尊様)を参詣供養する人は、月が、西の空から、毎日東へ向かって徐々に満月に近づいていくように、太陽が、東に昇ってからいよいよ光を増すように、その人も、いよいよ人徳が溢れてきて、多くの人々から、好かれ、愛され、大事にされるようになっていきますよ。  と。

また、世間でも 『一年の計は元旦にあり。』 とも言われます。

やはり、一年の一番最初に、この世で一番尊い御仏であらせられます戒壇の大御本尊様に参詣供養申し上げることは、仏法・世間法の道理に適い、必ずや皆様方の平成21年が、それのみでなく、今後幾久しく、幸多い人生に転換していくことは間違いないことでしょう。

そしてまた、大聖人様はこうも仰せであります。

■ 世間の浅き事には身命を失(うしな)へども、大事の仏法なんどには捨つる事難(かた)し。故に仏になる人もなかるべし。(佐渡御書 文永九年三月二〇日 五一歳 578)

前段は、一往、「世間的な些細な出来事で命を失うこと」を指しますが、再往・広義には、世間の日常一般の事毎に、時間、労力、お金、体力などを、惜しまず費やす姿のことも含まれるのではないでしょうか。
そして、大事の仏様に対して、また仏道修行に対しては、命をかける。命を捨てる。。。。そういう人は少ない。
再往・広義には、我々を本当の幸せに導いてくださる仏様(=戒壇の大御本尊様)や仏道修行に、時間や、労力や、お金や、体力などを惜しまず、ただひたすらに邁進する人は少ない・・・・
が故に、本当の幸福境界である「即身成仏」という人間として真の最高に尊く、有難く、暖かい・・・そういう永遠に絶対的な安心・安堵の境界を得る人は実に少ない・・・・ほとんど居ない・・・
このように、大聖人様はお嘆きであられ、かつまた、厳しくも暖かく我々を諌め、激励なさっているのではないでしょうか。

このような御本仏のお言葉を拝して、我々は、やはりここに少しの迷いもなく、戒壇の大御本尊様と、大聖人様以来の唯授一人・血脈相承を厳然と伝持なされる御法主日如上人まします総本山へ、50年に一度の凡智をもって計れないほど意義深い、立正安国論正義顕揚750年の新年初登山に、こぞって参詣させていただきたい心が溢れ出てくるのであります。

(この件に関して、座談会で話していますので、参考にしてください。
http://jp.youtube.com/watch?v=ouaxEr8Im3o

尚、この新年初登山の申し込みは、今月11月26日までに、2100円の振込み完了をもっての参詣希望意思の確認となりますので、もし、御参詣の志を持たれた方は 「遅参その意を得ず」 というようなことがないようによろしくお願いします。