(平成21年1月)○日の支部総登山の所感です。
支部総登山は自分にとって大変有意義なものとなりました!
実に18年振りの登山となりました。

妙相寺御住職様に勧誡をしていただいた時には、
”御宗門こそ大聖人の御意志を唯一正しく今に伝えている”
ということを確信しましたが、実際に登山してみて、本当に御宗門が何一つ変わっていないことに感動しました。

大石寺境内は大勢の御信徒で溢れていましたし、境内何処を見回しても綺麗に清掃され、整備されておりました。
新築された宿坊も大変綺麗で、私たちの宿坊となった蓮成坊においては第三十一世日因上人御書写の板御曼荼羅を拝することが出来ました。
18年振りに拝する板御曼荼羅でした。

また、Sさんの御授戒は本当に感動しましたし、私が末寺で新たに入信される方が御授戒を受けたときと全く変わらず、御住職様の誓約に対し
「持ち奉る可し」
と同志皆さんが合掌されるのが、本当に感動しました!

また、大講堂における立正安国論講義も大変興味深く拝聴させていただけました。
万年救護御本尊(※日有上人の模写御本尊)を拝することが出来たことも感動で、幼少期に大講堂に来たときと変わっていなかったことに感動しました。

やはり、一番感動したのは今も大石寺に厳護され、奉安堂にまします戒壇の大御本尊様にお目通り出来たことは歓喜の中の歓喜でした!
御開扉は本当に神聖で御僧侶が最後の御厨子をかしこまられ、開扉されるのも本当に懐かしく、時間を忘れて勤行・唱題をさせていただきました。

樋田さんほか、同地区の皆さんと大石寺境内を回った事も本当に良かったです。
大石寺の歴史のみならず、いろいろと勉強にもなりましたし、痛切に「正宗こそが正しい」と感じられるものとなりました。

意義深い登山に参加できました、この日を機に自分の宿業を何としても乗り越え、実証を示し、その姿を家族、学会員に見てもらうことで折伏に繋がることを祈っていきます!


目指すは家族の折伏ですが、総登山の翌日に家族に大石寺を見学に行ったと告げました。
御開扉をうけて大御本尊様にお目通りしたなどとは、口が裂けても言えそうになかったので、最大限の譲歩をしたつもりでしたが、大聖人ゆかりの御宝物を見学したという事ですら家族の反応は過剰でした。
数時間も説教、否、御法主上人の誹謗や池田氏賞賛を聞かされました。
私にはもう、『御宗門こそが正しい、創価学会は明らかに間違えている』という確信があります。
少しずつでも家族にそのことを伝えていきたい、御宗門の今を、まずは事実を述べる事から始めようと考えた次第です。
ですから、大石寺に赴いたことは他の用事のついでであるかの如く加えて話したにも拘わらず、
「謗法の山と化した日顕宗の寺に行くなど、大謗法だ!」
と強く非難されました。
「おまえはそこまで信心が堕落したのか」と、家族は嘆きつつです。
「何故、わかってくれないのか?」という気持ちを抱きつつも我慢しました。
大石寺を謗法の山であるなどと言っておきながら、
「日顕は正本堂を池田先生の嫉妬から破壊した」などと、今も本気で思いこんでいるのです。
家族が嘆くよりも、俺のほうが嘆きたくなる気持ちです。

本来であれば、創価学会という謗法の教団で活動している事を諫め、御宗門に帰伏させることこそが家族を救うことであり、それを行わないのは無慈悲なことだと思うのです。
しかし、今の家族にはまだ時期尚早のようで、やはり事実を述べたとすれば、私の事に落胆するばかりか、狂乱してしまうに違いありません。

私は「池田先生と家族とどっちが大事なんだ?」と尋ねたことがあります、答えは
「そんなことは比較できるものではない」
と返ってきました。
実に悲しいことです。
いずれ、家族も嫌でも創価学会が誤りであったとさとるときが来ることと思います。
願わくは、家族に悪鬼によって不幸が訪れないこと、そればかりです。
そして、家族に早く理解を得るためにも、御宗門に信伏随従し、実証を示していくことで、家族に分かって貰いたいと思うところです。