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2019.1 折伏セミナー text

■ 今日蓮が弟子等も亦是くの如し。或は信じ或は伏し、或は随ひ或は従ふ。但名のみ之を仮りて心中に染まらざる信心薄き者は、設ひ千劫をば経ずとも或は一無間(いちむけん)或は二無間(にむけん)乃至十百無間疑ひ無からん者か。是を免(まぬか)れんと欲せば各薬王(やくおう)・楽法(ぎょうぼう)の如く臂(ひじ)を焼き皮を剥(は)ぎ、雪山(せっせん)・国王等の如く身を投げ心を仕(つか)へよ。若し爾(しか)らずんば五体を地に投げ遍身に汗を流せ。若し爾らずんば珍宝を以て仏前に積め。若し爾らずんば奴婢(ぬひ)となって持者に奉(つか)へよ。若し爾らずんば等云云。四悉檀を以て時に適(かな)ふのみ。我が弟子等の中にも信心薄淡(うす)き者は臨終の時阿鼻獄(あびごく)の相を現ずべし。其の時我を恨むべからず等云云。(顕立正意抄  文永一一年一二月二五日  五三歳 751)

■ 只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり。是を磨かば必ず法性(ほっしょう)真如(しんにょ)の明鏡と成るべし。深く信心を発(お)こして、日夜朝暮に又懈(おこた)らず磨くべし。何様(いかよう)にしてか磨くべき、只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを、是をみがくとは云ふなり。(一生成仏抄 建長七年 三四歳 46)

■ 我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇(いとま)を止めて之を案ぜよ。一生空しく過ごして万歳悔(く)ゆること勿(なか)れ。(富木殿御書 建治三年八月二三日 五六歳 1169)

■ 夫(それ)賢人は安きに居て危ふきを欲(おも)ひ、佞人(ねいじん)は危ふきに居て安きを欲(おも)ふ。(富木殿御書  建治三年八月二三日  五六歳 1168)

賢人は、たとえ安穏な境地にいても、常に危うきことが起こることを予想し、気をつけています。しかし、佞人、つまり先ほどの馬の例によれば、駄馬のような人は、自分の身が危険な状態にあるにもかかわらず、そのことに気がつかず、ただ眼前の安逸(あんいつ)を貪(むさぼ)っているのです。 

■ 一、未だ広宣流布せざる間は身命を捨てゝ随力弘通を致すべき事。

■ 一、謗法を呵責(かしゃく)せずして遊戯雑談(ゆげぞうだん)の化儀並びに外書歌道を好むべからざる事。

■ 日蓮御房は師匠にてはおはせども余(あま)りにこ(強)はし。我等はやは(和)らかに法華経を弘むべしと云はんは、蛍(ほたる)火が日月をわら(笑)ひ、蟻塚(ありづか)が華山(かざん)を下(くだ)し、井江(せいこう)が河海をあなづり、烏鵲(かささぎ)が鸞鳳(らんほう)をわらふなるべし、わらふなるべし。583

■ 此の法門につきし人あまた候ひしかども、をほやけ(公)わたくし(私)の大難度々重(かさ)なり候ひしかば、一年二年こそつき候ひしが、後々には皆或はをち、或はかへり矢をいる。(四条金吾殿御返事 弘安二年九月十五日 五八歳 1391)

■ 十九の御年浄飯王宮を出でさせ給ひて、檀特山に入りて十二年、其の間御とも(伴)の人五人なり。所謂拘隣(くりん)とDE(あび)と跋提(ばつだい)と十力迦葉(かしょう)と拘利(くり)太子となり。此の五人も六年と申せしに二人は去りぬ。残りの三人も後の六年にす(捨)て奉りて去りぬ。但一人残り給ひてこそ仏にはならせ給ひしか。法華経は又此にもす(過)ぎて人信じがたかるべし。難信難解とは此なり。(四条金吾殿御返事 弘安二年九月十五日 五八歳 1391)

■ 悪の中の大悪は我が身に其の苦をうくるのみならず、子と孫と末七代までもかゝり候ひけるなり。善の中の大善も又々かくのごとし。

■ 設(たと)ひ謗身(ぼうしん)は脱ると云ふとも、謗家(ぼうけ)謗国(ぼうこく)の失(とが)如何(いかん)せん。
謗家の失を脱れんと思はゞ、父母兄弟等に此の事を語り申せ。
或は悪(にく)まるゝか、或は信ぜさせまいらするか。

諸国の失を脱れんと思はゞ、国主を諌暁(かんぎょう)し奉りて死罪か流罪かに行なはらるべきなり。
「我不愛身命(がふあいしんみょう)、但惜無上道(たんじゃくむじょうどう)」と説かれ「身軽法重(しんきょうほうじゅう)、死身弘法(ししんぐほう)」と釈せられしは是なり。
過去遠々劫(おんのんごう)より今に仏に成らざりける事は、加様の事に恐れて云ひ出ださゞりける故なり。
未来も亦復(またまた)是くの如くなるべし。
今日蓮が身に当たりてつみ知られて候。
設(たと)ひ此の事を知る弟子等の中にも、当世の責めのおそろしさと申し、露の身の消え難きに依りて、或は落ち、或は心計(ばか)りは信じ、或はとかう(左右)す。
(※ 意訳 露の身であるにも関わらず、一生は長いと思い込んでいて、仏道修行に励まずに無駄な時を過ごしているうちにあっという間に死を迎え、あるいは、心だけは信じているようでも、実際の行動がない。或いは、少しばかり折伏に動き出してみたら、色々、悪口・誹謗中傷とか迫害があり、あるいは自身の罪障が噴出したりして、右往左往して強盛な折伏行を絶やしてしまう)
御経の文に「難信難解(なんしんなんげ)」と説かれて候が身に当たって貴く覚え候ぞ。(秋元御書    弘安三年一月二七日  五九歳 1452)

■ 行学の二道を励み候べし、行学たえなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりおこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし。668

■ 法華経・法師品第十 

若し是の善男子 ・ 善女人は 我が滅度の後
能く竊かに一人の為めにも 法華経の乃至一句を説かば 当に知るべし
是の人は則ち如来の使にして 如来に遣わされて 如来の事を行ず


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